このページの本文へ移動

幾何平均を用いた国内卸売物価・参考指数の公表について

1998年 5月12日
日本銀行調査統計局

日本銀行から

1.はじめに

近年、先進各国では、物価が落ち着いた動きを示しており、統計作成上の誤差が指数に与える影響を無視できなくなっていることから、物価統計の精度について関心が高まっている 1。日本銀行では、長年にわたり卸売物価指数(以下、WPI)を作成するとともに、指数精度の向上に努めてきたが、なお検討すべき課題が残されているのも事実である 2

そこで、そうした検討課題の1つである指数算式について、従来からの算術平均を用いた指数(以下、ラスパイレス指数)に加え、幾何平均を用いた指数(以下、幾何平均指数)も検討してきたが、このほど、この幾何平均指数を参考指数として公表することとした。指数算式の修正が直ちに統計精度の向上をもたらすわけではないが、統計ユーザーに対しより多くのデータを開示することにより、現行WPIに生じうる計測誤差(バイアス)についての情報を提供できるものと考えている。

2.指数算式が有する誤差

財やサービスの価格動向を集約するためには、幅広い商品について個々の銘柄の価格を聴取する必要があるが、各商品はその中身も価格の水準も全く異なるものである。したがって、物価指数を作成するためには、ある基準時点を定めて商品の価格の推移を指数化し、取引額(支出額)に応じて加重平均しなければならない。ところが、現実には、基礎となる統計の制約等から、加重平均する際に用いられる取引額(支出額)ウエイトにその都度最新のものを適用することは極めて難しい。したがって、WPIをはじめ多くの物価指数においては、基準時点でウエイトを固定し、加重算術平均を行うという手法が採られている(こうした指数算式をラスパイレス算式と呼ぶ) 3

わが国の場合、WPIに限らず、多くの物価指数は5年に一度基準改定されており、その都度世の中の変化に対応してきたが、特に近年のように経済構造が急激に変化すると、5年間、取引額(支出額)ウエイトを固定しておくことは、経済実態と指数の乖離を拡大させることになりかねない。

すなわち、ラスパイレス指数の場合、基準時点のウエイトを用いて価格の水準を平均し指数を算出しているため、例えば、価格が相対的に低くなった商品に需要がシフトする場合には(この場合、「代替の弾力性」は0より大きいという)、そこで算出された物価指数は、いわゆる「理論上の物価指数」 4に対し上方バイアスを有する。これは、「理論上の物価指数」では、各時点の数量変化が織り込まれるのに対し、ラスパイレス指数では定義上数量ウエイトは一定のため、価格が低下(上昇)した商品の数量が相対的に増加(減少)しても、これを指数に反映できないためである。一方、この間の購買行動が変化せず、したがって数量ウエイトも変化しない(「代替の弾力性」が0)場合には、同指数にはこうしたバイアスは生じない 5

これに対し、幾何平均指数の場合は、ウエイトはラスパイレス指数同様、基準時点の支出額から作成したものを用いるが、価格の伸び率を平均して指数を算出するため、相対価格が変化しても各々の財の支出額(価格×数量)の割合が一定であれば(すなわち、「代替の弾力性」が1ならば)、算式上、ラスパイレス指数のようなバイアスは発生しない。これは、価格が低下(上昇)した商品について、支出額が一定になるように購入数量が増加(減少)するケースである。一方、相対価格の変化にしたがって購買行動が変化しない場合や変化が相対的に小さい(「代替の弾力性」が1より小さい)場合には、同指数は下方バイアスを持つ 6

このような指数算式による結果の違いについて、トランジスタと集積回路を例にとって具体的にみたものが図表1である。ここでは、比較時点で集積回路の価格が低下したとき、それぞれの取引数量の変化パターンとして4つのケースを想定している。計算結果から明らかなとおり、相対価格が変化しても取引数量に変化がなければ(「代替の弾力性」=0)、ラスパイレス指数が「理論上の物価指数」に一致し、幾何平均指数に下方バイアスが生じる。しかしながら、取引数量が若干ながらも変化すれば(0<「代替の弾力性」<1)、ラスパイレス指数に上方バイアスが生じる。もし、支出額の割合が一定になるように需要の代替が進めば(「代替の弾力性」=1)、ラスパイレス指数に上方バイアスが生じる一方、幾何平均指数は「理論上の物価指数」と一致する。また、需要の代替がさらに進むようなケース(「代替の弾力性」>1)では、ラスパイレス指数、幾何平均指数ともに上方バイアスを有するが、後者の方が「理論上の物価指数」に近いということになる。

3.現行WPIが有するバイアス

以上でみたように、指数算式に起因するバイアスの大きさは、相対価格の変化に対し、実際の需要の代替がどの程度生じるかに依存する。一般には、価格変化が商品の需要を変化させるものと考えられるが、WPIの対象とする企業間取引において、必ずこうしたことが生じるとは言い切れない。むしろ、企業が原材料を投入する場合においては、即座に代替できる原材料がない等の技術的な制約から、価格が変化しても需要量が変わらないというケースも考えられる。

そこで、こうした点をマクロ的に確認する手掛かりとして、これまでの基準改定時に算出したパーシェ指数(比較時点でウエイトを固定して加重算術平均により算出)について、基準時点のウエイトを用いたラスパイレス指数と比べどれだけ乖離しているかを検証する(いわゆる「パーシェ・チェック」)。すなわち、前述のとおり、ラスパイレス指数が基準時点の取引額ウエイトを用いて指数を集計しているのに対し、パーシェ指数は、比較時点(つまり直近時点)の取引額ウエイトを用いている。したがって、両指数の乖離はウエイト変化を反映することとなり、こうした「パーシェ・チェック」を行うことで取引実態の変化がチェックできるためである。

因みに、相対価格が低下(上昇)した商品に対し、正の代替効果が発生して相対的な取引額ウエイトが上昇(低下)するならば、ラスパイレス指数はパーシェ指数よりも大きくなり、「理論上の物価指数」はその間に位置することが、一定の条件の下で証明されている 7。この場合、正の代替効果が発生すると、パーシェ・チェック(パーシェ指数−ラスパイレス指数)は、負の乖離を示すことになる。

実際に結果をみてみると(図表2)、いずれの期間も負の乖離を示しており、企業間で取引される商品についても、正の代替効果の存在を示すかたちとなっている。こうしたラスパイレス指数のパーシェ指数に対する一方向への乖離の背景には、相対価格の変化によって生じる代替効果とは別に、所得効果の存在や技術条件などの経済構造変化も影響を与えていると考えられるが、いずれにせよ、相対価格が低下(上昇)した商品の取引が相対的に増加(減少)するという価格と数量のマクロ的変化から、現行のラスパイレス指数が、基準改定から5年を経た時点で、つねに上方バイアスを有している可能性が高いことが確認される。

4.幾何平均指数の導入にあたって

ラスパイレス指数のバイアスを取り除く最善の方法は、集計の際に利用するウエイトデータをその都度更新していくことであるが、全ての商品に関し、最新の取引額をつねに把握し、集計の都度ウエイトを改めていくことは、基礎となる統計の制約から極めて困難である。そこで、次善の策として採りうる方法が、幾何平均により集計するというやり方である。しかしながら、既に説明したとおり、幾何平均指数は、相対的な価格が変化しても支出額ウエイトが変化しないという前提(代替の弾力性が1)の下に、「理論上の物価指数」と一致するものである一方、代替効果がさほど大きくない(代替の弾力性が1より小さい)場合には、むしろ下方バイアスを有する。

これらの点を考慮し、今回、WPIに幾何平均算式を用いるにあたっては、すべての集計段階で幾何平均を採用するのではなく、先験的に、商品の代替関係が想定される「銘柄から商品群までの集計」を幾何平均、それよりも上位の「商品群から総平均までの集計」は従来通りラスパイレス算式での算術平均を用いるという方法を採用した(図表3)。

こうした考え方の背景は、数量変化に影響を与えるのは、関連の薄い商品間の相対価格ではなく、属性の近い商品間の相対価格であるということである。例えば、インスタントコーヒーの需要は、普通乗用車との相対価格の変化には影響されないが、レギュラーコーヒーとの相対価格変化によって一定の影響を受けると考えられる。

もちろん、類別間でも、技術進歩等を通じた代替は起こりうるわけで、上記のような考え方は絶対的なものではない。しかしながら、過去のデータから試算した幾何平均指数をみると、全ての集計段階で幾何平均を用いた指数には、下方バイアスがあるとみられるのに対し、部分的に幾何平均を導入するかたちで作成した指数では、そうした問題が相当程度解消されているとみることができる。したがって、今回公表する幾何平均指数は、全ての集計段階で幾何平均を用いた指数に比べバイアスが小さいものと考えられる 8

5.幾何平均指数を公表する意義

以上みてきたように、ラスパイレス算式を用いた現行のWPIには代替効果を取り込めないという問題があり、その対応方法の一つとして幾何平均の採用があげられる。しかし、実際には、企業間取引における代替の弾力性が計測できないため、ラスパイレス指数と幾何平均指数との間の優劣を判断することはできない。このような限界があるにもかかわらず、日本銀行が今回敢えて幾何平均指数を参考指数として公表することとしたのは、経験的にみてラスパイレス指数に上方バイアスが存在する可能性が高いため、指数算式に伴う物価指数の計測誤差に関する情報を、幅広く統計ユーザーに提供することが必要と考えたためである 9

因みに、先に述べた方法で算出された幾何平均指数の動きをみると(図表4)、95年1月から98年1月までの3年間に、総平均で3.0ポイント低下している一方、ラスパイレス指数では、2.0ポイントの低下に止まっており、両指数間で1.0ポイントの差が生じている。また、これを類別指数で比較してみると、特に、電気機器において大きな乖離がみられており、96年中のように、特定の商品(集積回路、電子計算機本体、ビデオテープレコーダ等)で大幅な価格下落が生じた場合には、指数算式によって、集計結果にかなりの相違が生じることを示している。もし、このように価格が低下した商品について、相対的に取引額が増加していると判断できれば、ラスパイレス指数の有するバイアスは拡大していることになり、こうしたケースでは、幾何平均指数の方がバイアスは小さい。

もとより、物価指数のような集計加工された統計に、唯一無二の値を期待することには無理があるが、今後とも各方面からのご意見、ご批判をいただきながら、さらに研究を重ねることにより、「理論上の物価指数」に少しでも近い物価統計を提供できるよう努めていきたいと考えている。

以上

  1. 米国では、1996年12月に議会に提出されたいわゆる「ボスキン・レポート」(Advisory Commision to Study the Consumer Price Index[1996])を巡り、消費者物価指数(CPI)の精度に関する議論が活発化しており、FRBのグリーンスパン議長もこの点についてしばしば言及しているほか、ドイツでも、1998年3月にブンデスバンクが「ドイツにおけるインフレ率の計測誤差を巡る問題」(Hoffmann[1998])と題したディスカッション・ペーパーを発表した。また、わが国においても、「消費者物価指数の計測誤差 —その問題点と改善に向けての方策—」(白塚[1995])と題した論文が公表されている。
  2. 一般に物価指数の精度上の問題としては、(1)ここで述べている指数算式に起因するもののほかに、(2)統計の対象サンプルが商品や流通形態の変化に対応できていないこと、(3)品質の変化に適切な調整がなされていないこと、が指摘されている。因みに、日本銀行では、これら(2)、(3)の問題に対応するために、5年に一度の基準改定に加え、適宜、調査の対象となる銘柄を変更しており、その際には、品質調整も行っている。また、急激な技術進歩等で品質調整が難しいといわれるパソコンなどについては、ヘドニック・アプローチと呼ばれる計量的な手法も活用している。
  3. 各物価指数算式については補論1参照。
  4. 「理論上の物価指数」とは、消費者物価指数(CPI)について用いられてきた概念をWPIに応用し、「物価変動後においても、同一の産出量を実現するために投入する生産要素の最小費用の比率」として算出されるもの。もっとも、実際にこうした比率を各時点で観察する、すなわち同指数を作成することは極めて困難である。この点の詳細については補論2参照。
  5. 「代替の弾力性」が0より小さい、すなわち、価格が相対的に高くなった商品に需要がシフトするケースも、場合によっては起こりうるが、こうしたケースは極めて稀であるため、ここでの議論では想定していない。
  6. 指数算式とバイアスに関する詳しい説明は補論3参照。
  7. 詳しくは補論4参照。
  8. 詳しくは補論5参照。
  9. 因みに米国では、消費者物価指数(CPI)について、97年4月より、今回のわが国のWPIと同様、下位集計(銘柄から品目の集計)部分に幾何平均、上位集計(品目から総平均)部分に算術平均を用いた指数(CPI-U-XG<experimental CPI using geometric means>)を試験的に公表してきたが、98年4月には、幾何平均の適用範囲を下位集計部分の一部(支出額ウエイトで61%)に絞った指数(代替の弾力性が低いと思われる住宅関連、公共料金等には従来どおり算術平均を適用)を、99年1月より正式な指数として公表していく旨発表した。
  • 図表4:国内WPI総平均・電気機器の推移(指数、前年比)。(1)総平均。(1-1)指数レベル。ラスパイレス指数を幾何平均指数の推移を比較したグラフ。詳細は本文の通り。(1-2)前年比。ラスパイレス指数を幾何平均指数の推移を比較したグラフ。詳細は本文の通り。
  • (2)電気機器。(1-1)指数レベル。ラスパイレス指数を幾何平均指数の推移を比較したグラフ。詳細は本文の通り。(1-2)前年比。ラスパイレス指数を幾何平均指数の推移を比較したグラフ。詳細は本文の通り。