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米国のサプライサイド政策と労働市場の変貌について

1998年10月28日
竹内淳一郎※1
武田洋子※2

日本銀行から

 本論文中で示された内容や意見は筆者個人に属するもので、日本銀行の公式見解を示すものではない。

  • ※1日本銀行国際局国際調査課<現香港事務所>
  • ※2日本銀行国際局国際調査課(E-mail:youko.takeda@boj.or.jp)

 以下には、(はじめに)および要旨を掲載しています。全文(本文、図表)は、こちら (ron9810b.pdf 417KB) から入手できます。

はじめに

 米国景気は、高い経済成長率、低失業率の下での物価安定という先進国経済の中でも際立って良好な経済パフォーマンスを示している。もっとも、90年代初めの今次景気の回復局面を振り返ると、企業や銀行が80年代後半に毀損したバランス・シート調整の対応に迫られ、総じて慎重な投資・貸出行動をとったために、いつになく緩慢な景気の回復過程を辿ることとなった。

 本稿では、こうした構造的な調整圧力を乗り越え、米国経済が現在に至るまで長期の景気拡大をもたらす上で、70年代後半以降の規制緩和や税制改革といったサプライサイドの経済政策が果たした役割について、主としてその効果が中小企業の設立を通じ、雇用の拡大にどのような影響をもたらしてきたかを中心に考察した。

 カーター政権以降の米国の経済政策を振り返ると、(1)規制緩和、(2)キャピタル・ゲイン税率の引き下げ、課税ベースの拡大と法人および個人所得の最高税率引き下げ等を柱とする税制改革等は、何れも起業家精神を高揚させ「インセンティブに働きかける」ことで、民間のイノベイティブな投資を引き出すことを主眼に置いたものであった。規制緩和は、市場への参入および市場間での競争を促進させることで、資本や労働の効率的な再配置を促す。また、税制改革のうち特にキャピタル・ゲイン税率の引き下げは、起業家・資本家に企業の設立というリスクテイクに対する潜在的な報酬(リターン)が高まることを認識させた。

 こうした施策は、90年代に入ってサービス業中心に数多くの中小企業の創業に繋がったと解され、これが大企業製造業を中心とする厳しい雇用調整を緩和させてきた。しかしながら、規制緩和については、雇用の拡大に繋がるまでに、かなり不確定の長い期間を必要とする。実際に、80年代前半に規制緩和が行われたトラック輸送業種では、直後から4年間、顕著に雇用が減少した。こうした短期的な雇用調整は予想外に厳しいものであり、柔軟な労働市場を有する米国においてすら、ミスマッチは深刻であった。米国では、80年代後半から90年代初めにかけて、企業の厳しいリストラの中で、幾つかの雇用の下支え要因が働くと同時に、労働移動の順便化を企図した労働政策が採られ、また89年から94年初までの金融緩和局面では、長く実質金利をゼロ近傍にまで引き下げるという金融緩和策が採られたが、そうした下でも、かなりの「痛み」を伴ったことは銘記すべきである。本稿ではこうした観点をも認識した上で、今次景気拡大局面における米国での非製造業主導の雇用拡大を、70年代後半から採られてきた政府の経済政策と併せ、捉え直してみようと考えている。予め本稿の要旨を述べると、以下のとおり。

要旨

1. 米国では、70年代後半からのカーター政権以降、80年代のレーガン政権を通じて規制緩和や税制改革といった政策が進められてきた。これらは、経済主体のインセンティブに働きかけるという意味で、サプライサイドを重視した経済政策であり、その後の競争を通じた効率化やイノベーションの向上に加え、非製造業部門を中心に数多くの中小ベンチャー企業の創出に繋がっており、90年代の景気回復・拡大の原動力の1つになっている。

2. 規制緩和についてみると、70年代後半から現在に至るまで運輸、通信、エネルギーといった非製造業部門でかなりドラスティックに進められた。こうした規制緩和は、市場への新規参入を促すこと等で既存企業を含めリストラを促すことから、短期的には雇用の減少を招くケースが多い。しかしながら、その後、規制緩和によって生産性が上昇し、その結果、価格の下落が需要を誘発する効果等から、中期的には周辺の業種を含め雇用の拡大に寄与している。

3. 税制についてみると、70年代後半からのキャピタル・ゲイン減税は、(1)創業後暫くはストック・オプションという形で報酬を得る蓋然性が高い潜在的な独立志向者のインセンティブに働きかけ、起業を促す方向に作用したと考えられる。また、(2)投資家に対しては、ベンチャー・キャピタル(VC)投資などの投資資産の期待収益率を高めることで資金供給を促した。こうした需給双方の要因から80年代入り後、VCは飛躍的に拡大した。また、86年税制改革では課税ベースの拡大と併せ法人税率が引き下げられているが、これは現在米国の雇用創出を担っているハイテク関連のベンチャー系中小サービス業の創業や成長を促す方向に作用したとみられる。特に、ベンチャーを始めとする中小企業は、(1)そもそも資本ストックをさほど保有せず、またその多くが知的資産等の無形資産で占められていること、(2)多くの借入金を必要としないことを特徴としており、減価償却や利払い費用を広く課税所得から控除する税制を見直し、それに見合うかたちで法人税率を引き下げた税制改革は、大企業製造業に比べ相対的に中小企業や非製造業に有利に働いたとみられる。

4. 多くの中小ベンチャー企業の創業に当たっては、税制改革や規制緩和等で起業家精神を促すだけでなく、創業時の資金調達を容易化するための制度整備も不可欠である。こうした観点から米国では、株式市場での公開基準の引き下げと同時にディスクロージャーの徹底、また年金等機関投資家の運用規制緩和等の制度整備も併せ行われてきた。

5. 規制緩和に伴う短期的な雇用調整の痛みは、税制改革によって起業を促し、雇用を創出し得る新たな産業を育成することだけで緩和されるものではない。これには、雇用の流動化や労働需給のミスマッチを回避するための制度設計を含めた労働政策が必要となってくる。クリントン政権では、再就職を支援するための労働技術取得や失業者の独立支援プログラムを労働政策として打ち出した。

6. 93年以降、雇用の受け皿となる非製造業で業容が拡大すると同時に、製造業から非製造業への労働移動が比較的スムーズに行われた背景には、柔軟な労働市場、年金受給資格のポータビリティ、労働需給のミスマッチ解消に資する人材派遣業の業容拡大、電子媒体を通じた求人・求職情報の多様化・データベース化等、労働市場全体のシステムがワークした結果という側面が強い。