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【挨拶】 デジタル時代と中央銀行 IMF・金融庁・日本銀行共催 FinTechコンファレンスにおける挨拶の邦訳

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日本銀行副総裁 雨宮 正佳
2018年4月16日

はじめに

本日、このアジアの地で、IMF、金融庁と共に、情報技術を活用した金融イノベーションに焦点を当てたコンファレンスが開催され、多数のご参加を頂いたことは、この10年間の世界の変化を象徴するものとして、大変意義深く感じます。

情報技術革新と金融経済の変化

今から10年前の2008年、IMFや世界の金融当局が直面する最大の課題は、グローバル金融危機への対応でした。一方で、当時スマートフォンは生まれたばかりであり、仮想通貨はまだ登場もしていませんでした。

その後の10年間で、世界は大きく変わりました。金融危機からの脱却が進み、世界経済は再び成長の歩みを取り戻しています。この間、急速な情報技術革新に伴い、「情報革命」、「データ革命」とも呼ぶべき動きがグローバルに進行し、金融や経済に新たな発展の機会をもたらしています。とりわけアジアは、その影響を強く受けています。

例えば、銀行口座が持てない等の理由で金融サービスを受けられない人々の「金融包摂」をいかに進めるかは、10年前でも、すでに世界的に大きな社会問題となっていました。その後、スマートフォンは各国で爆発的に普及し、今やアジアの新興国を含め、多くの人々がこれを経由した金融サービスを利用できるようになっています。すなわち、技術革新により、10年前には想像しなかった形で、「金融包摂」が大きく進んだ訳です。このことは、新たな経済活動の刺激にもつながっています。

また、人々が生活のさまざまな局面でスマートフォンを操作する度に、SNSへの発信や位置情報、ウェブサイトの検索履歴など、巨大な量のデータが刻々生産されています。こうして生み出されるビッグデータは、広範な経済活動において、付加価値を生む新たなアセットとしての性格をますます強めています。この中で、近年急速な成長を遂げたデータ・ジャイアント企業は、ビッグデータを活用しながら、金融サービスを含むさまざまなサービスを、しばしば無料で提供しています。さらに、情報技術の進歩は、経済社会の隅々にある遊休資源と需要とを結び付ける「シェアリングエコノミー」などの新しいビジネスも生み出しています。

新たな政策面でのチャレンジ

このような情報技術革新は、中央銀行を含む金融当局に、さまざまな新たな課題も投げかけています。以下、4つほど指摘しておきたいと思います。

(1)情報技術革新が市場の価格形成などに及ぼす影響

まず第一に、現在、広範な金融市場において、アルゴリズムやAIを用いた高速・高頻度取引が一段と大きなシェアを占めるに至っています。このことが、市場価格の形成やボラティリティ、市場流動性などにどのような影響を及ぼすのかは、市場の安定や金融政策のトランスミッション・メカニズム等にも関わる問題であり、金融当局にとって重要な論点です。また、このような市場環境の変化を背景に、中央銀行の「Market Maker of Last Resort」の役割に新たな脚光があたっています。

(2)情報技術革新が経済・物価に及ぼす影響の把握

第二に、情報技術革新や、この下で発展を遂げているeコマース、シェアリングエコノミーといった新たな経済活動などが実体経済や物価動向に及ぼす影響を、いかに把握していくのかが課題となります。これは、「eコマースの拡大により小売売上高が把握しにくくなる」というような、単なる統計カバレッジの問題にとどまるものではありません。

例えば、データ・ジャイアント企業などによる各種サービスの無料での提供は、企業側がこれらのサービス提供を「データ収集の手段」と捉え、獲得したデータをさまざまな用途に利用することで可能となっています。また、ユーザー側は、サービス利用の対価を、おかねの代わりに「データの供出」という形で支払っているとみることもできます。伝統的な価格・数量平面における需要曲線と供給曲線という道具建てでは、このような経済活動を捉えることは難しくなっています。

(3)サイバーセキュリティやデータ保護の重要性の高まり

第三に、金融安定を確保していく上で、サイバーセキュリティやデータ保護の重要性が、一段と高まっていることです。近年のデータ・ジャイアント企業の金融分野への参入や、金融におけるビッグデータ活用の進展、さらに、インターネットやスマートフォンといった金融へのアクセス媒体の多様化は、いずれもこれらの重要性を高める方向に働いています。

(4)情報技術革新の通貨・支払決済への影響

第四に、情報技術革新がマネーや支払決済に及ぼす影響です。これは、「仮想通貨」や「中央銀行デジタル通貨」も含め、近年、国際的にも注目が集まっている分野です。これに関連し、中央銀行が経済社会にどこまで踏み込んで決済インフラを提供すべきかといった議論も活発化しています。以下ではこの問題について、やや詳しく述べさせて頂きます。

イノベーションと通貨制度

日本銀行を含め多くの中央銀行は、歴史的には、支払決済手段の濫立やこれに伴う混乱に対処するために誕生しました。すなわち、銀行券および中央銀行預金というファイナリティのある「中央銀行マネー」を一元的に供給する役割を与えられました。これにより成立した近代的な通貨制度は、中央銀行と民間銀行との「二層構造」を特徴としています。

現在、中央銀行は、銀行券と中央銀行預金の供給に特化する一方で、民間銀行はこれを核とする信用創造活動を通じて、広義マネーとしての預金通貨を供給しています。これにより、民間銀行は一般の人々に支払決済サービスを提供しながら、経済への資金配分の役割も担っている訳です。

このことを情報処理の観点からみると、中央銀行の登場により、それまでの、「数多くの支払決済手段の信頼性をいちいち調べなければいけない状況」から脱却することができました。支払決済システムにおける情報処理コストは大きく低減しました。同時に、民間銀行は自らの情報処理機能を通じて、資金の効率的配分に貢献してきました。このように、中央銀行と民間銀行による二層構造は、通貨制度の安定性と効率性を両立させる、歴史的知恵であったと言えます。

これに対して、中央銀行がデジタル通貨を自ら発行するとなると、単純化していえば、一般の家計や企業が中央銀行に直接口座を持つことになります。そうなると、只今申し述べた通貨制度の二層構造や、民間銀行を通じた資金仲介などに、大きな影響を及ぼす可能性があります。

情報の観点からみると、現在、中央銀行は、自らの口座へのアクセスを銀行等に限定することにより、「誰が何を買ったのか」といった取引情報の活用は民間に委ねています。一方で、支払決済システム全体の安定に必要な情報については、大口決済システムを通じて把握することができます。中央銀行デジタル通貨の発行は、こうした情報利用の構造にも影響し得るものです。

このように、情報技術の進歩に伴い、通貨制度や中央銀行インフラのあるべき姿、経済活動に付随する情報の活用のあり方といった根源的な問題が正面から問われることとなるでしょう。

日本銀行の取り組み

これまで申し述べたような新たな政策的チャレンジを踏まえ、日本銀行は、2016年に「FinTechセンター」を設立し、イノベーションやフィンテックに関する取り組みを積極的に進めてきました。また、日本銀行は欧州中央銀行と協力し、分散型台帳技術に関する共同調査「Project Stella」に取り組んでいます。日本銀行は現時点で、自ら中央銀行デジタル通貨を発行する計画は持っていません。しかし、新しい技術については、支払決済や金融の安定への影響といった視点に加え、これらを自らのインフラ改善にどのように役立てていくことができるかといった観点からも、深く理解していく必要があると考えています。中央銀行自身がイノベーションへのアンテナを鋭敏に保つとともに、経済社会にとって最善のインフラを提供していく取り組みを不断に続けていくことが重要です。

今回の会合は、中央銀行や金融当局にとって、こうした課題に対処していくうえで有意義な機会となったものと確信しています。そして、技術進歩を金融・経済の発展に結び付けていくために、今後ともこうした場を通じた検討が続けられることを願っています。最後に、皆様のご帰国の旅のご無事を祈念して、私の話を終えることとします。

ご清聴ありがとうございました。