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【講演】 「期待」に働きかける金融政策:理論の発展と日本銀行の経験 オックスフォード大学における講演の邦訳

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日本銀行総裁 黒田 東彦
2017年6月8日

1.はじめに

オックスフォード大学での講演の機会を与えて頂き、大変光栄に存じます。それと同時に、私個人として、非常に感慨深いものがあります。というのも、私は、1969年から71年まで、オックスフォード大学の大学院に所属し、若き日々をこの場所で過ごしたからです。私は日本の財務省からの派遣で留学し、財政学を勉強するつもりでしたが、著名な財政学者のアーシュラ・キャサリーン・ヒックス先生は既に退官されていたため、私はリチャード・グッド・スメザースト先生の下で金融論を勉強することになりました。また、当時、ジョン・リチャード・ヒックス名誉教授が、大学院生向けに金融論のセミナーを行われており、私もこれに参加することができました。これらの機会が、私にとって、金融論や金融政策論を本格的に勉強するきっかけとなったのですが、約半世紀の時間を経て、日本銀行総裁としてこの場で金融政策に関する講演を行うことになろうとは、当時の私には全く想像もつかないことでした。

さて、本日の講演は、「『期待』に働きかける金融政策:理論の発展と日本銀行の経験」と題しまして、金融政策理論の発展と、近年の日本銀行の金融政策運営について、お話させて頂きたいと思います。日本銀行は、2013年4月、それまでの政策枠組みとは大きく異なる「量的・質的金融緩和」を導入し、その後、これを発展・強化する形で現在に至っています。こうした日本銀行の政策は、近年の欧米の中央銀行の政策イニシアティブとともに、しばしば「非伝統的金融政策」と分類されます。もっとも、その基礎となる考え方のルーツは、1世紀近く前の英国経済学に遡ることができます。この講演では、20世紀前半以降の経済学の議論を概観し、現代の金融政策における意義を論じるとともに、残された課題について考えてみたいと思います。

2.思想の源流:20世紀前半の英国経済学における金融政策の議論

20世紀前半の英国経済学における金融政策の議論は、現代の金融政策に対してきわめて有益な示唆を与えています。とりわけ、先進各国で近年導入された「非伝統的金融政策」に対して、1世紀近く前に、多くの洞察を与えていることには、改めて驚かされます。

まず、20世紀前半の英国経済学者と聞いて、誰もが真っ先に思い浮かべるのは、ジョン・メイナード・ケインズであろうと思います(図表1)。マクロ経済学の創始者であるケインズは、不況期において、中央銀行が長期国債の売買等を通じ、長期金利に働きかける金融政策の役割を重視しました。1933年に、ケインズが当時のルーズベルト米国大統領宛てに、長期国債の買入れによる長期金利の引き下げを促す公開書簡を送ったことは、よく知られています。

それと同時に、ケインズは、その代表的著書である1936年の『雇用・利子・貨幣の一般理論』において、長期金利が一定水準まで低下すると、人々が、将来の金利上昇を予想して、長期債投資よりも貨幣を保有する結果、それ以上、長期金利が低下せず、貨幣当局が利子率に対する効果的な支配力を失ってしまう状況、すなわち「流動性の罠」が発生しうることについても、的確に指摘しました。驚くべきなのは、ケインズが「流動性の罠」の状況を、それが実際に生じる以前の段階で予言していたということです。実際、彼は、「流動性の罠」の状況が、『一般理論』の執筆時点までに生じたことがなかったにもかかわらず、「この極限的な場合は将来実際に重要になるかもしれない」と記しています。

ご承知のように、ケインズは、「流動性の罠」の議論に限らず、マクロ経済学のあらゆるテーマについて、学術的な立場から鋭い考察を行い、それ以降のマクロ経済政策に圧倒的な影響力を持ちました。もっとも、とりわけ本日のテーマである「期待と金融政策」に関して言えば、当時、ケインズの友人であり論敵であった、ラルフ・ジョージ・ホートレーも、非常に優れた考察を行っています。彼は、英国財務省の調査局長を長期にわたり務めながら多数の著作を執筆した官庁エコノミストであり、実務に根差した独自の経済理論を考案し、景気循環における貨幣的な要因を重視したことで知られています。

まず、ホートレーは「フォワード・ルッキングな金融政策運営」の重要性を、きわめて早い段階から指摘しました(図表2)。1923年の著書『貨幣の再建』において、彼は、「抑制しなければならないのは過去の物価騰貴ではなくて、将来の物価騰貴である」としたうえで、「問題は心理的なものである」と述べています。そして彼は、「心理的な問題と非常に密接に関わる要因は、利子率を固定させる当局の意図に関する取引者の期待である」と指摘しています。つまり、ホートレーは、民間の経済主体が、将来に対する予想(expectation)──日本の経済学では、しばしば「期待」と訳されます──に基づいて行動を決めていることを指摘し、中央銀行の将来の物価安定に向けた政策スタンスが、そうした経済主体の予想に働きかける重要な要因になることを、経済学者として非常に早い段階で指摘したのです。

ホートレーはさらに、中央銀行による金利操作が大きな政策効果を生む理由についても、示唆に富む洞察を行っています(図表3)。彼は、1938年の著書『金利政策の百年』の中で、「1%というような短期利子率の僅かな上昇によって、商人に加えられる圧力は、言うまでもなくごく軽いものである。しかし、イングランド銀行は、いつも1%、あるいは0.5%の上昇が目に見える効果を持つことに頼っているように見える」としています。そして、イングランド銀行が公定歩合を1%引き上げると、「商人は、この引上げが市場に引き締め効果を与えるために行われたと判断して、もし効果が生じなければ、効果が生ずるまで公定歩合がさらに引き上げられると予想する」と記しています。このように、政策金利の僅かな変化が、大きな政策効果を生む背景には、中央銀行による将来の金融政策スタンスに対する人々の期待があることについて、明確な指摘を行ったのは、おそらくホートレーが初めてだと思います。

この最後の点について、私は、大学院留学中に、ジョン・リチャード・ヒックス教授から、お話を伺ったことを鮮明に記憶しています。もっとも、この中央銀行の意図を人々が先取りすることから生じる政策効果について、ホートレーが「心理的効果」と呼んでいたのに対し、ヒックスは、その効果は経済主体のきわめて合理的な行動に基づくものであるとし、金融政策の波及経路として、ホートレーが指摘した以上に、理論的に強固なものと考えていました(図表4)。ヒックスはこの効果を中央銀行による「アナウンスメント効果」と呼び、中央銀行による政策は、「人々の期待の変化をただちに生ぜしめるに違いない」としたうえで、「ホートレーの分析から学ぶことは、『古典的』な公定歩合のシステムがそのアナウンスメント効果において強力であった、あるいは強力でありえたことである」と述べています。ヒックスによるこの「アナウンスメント効果」としての解釈は、いわゆる「長期金利の期待理論」に基づくものであり、現代で言う「フォワード・ガイダンス」の重要性を早い段階で指摘したものと言えるでしょう。

このように、ケインズ、ホートレー、ヒックスなど、英国経済学者は、1世紀近く前に、「流動性の罠」、「フォワード・ルッキングな金融政策」、「フォワード・ガイダンス」、といった、現代の金融政策運営──とりわけ「非伝統的金融政策」──におけるキー・コンセプトを提示していました。彼らの議論は概念的なものでありましたが、その後、フリードマンやルーカス、ニューケインジアン等によって具体的に定式化され、議論のエッセンスは精緻化された形で現代の経済学に引き継がれています。

私ども中央銀行の政策担当者は、こうした英国経済学者の議論から直接的・間接的に影響を受けています。とりわけ重要なのは、「中央銀行が物価安定に向けた強い意志を示すことが、人々の期待に働きかけ、金融政策の効果を高める」ということです。これは、現在、日本銀行が実施している金融緩和のエッセンスでもあります。以下では、こうした背景を踏まえながら、近年の日本銀行の政策運営について説明します。

3.日本におけるデフレ:潜在成長率の低下とインフレ期待の低下

1990年代以降、多くの先進諸国では、経済のボラティリティが大幅に縮小しました。前FRB議長のベン・バーナンキは、この状況を「大いなる安定(Great Moderation)」と呼び、それが生じた有力な背景として、英国を含む先進諸国で、インフレーション・ターゲティングが導入されるなど、中央銀行のインフレ期待の安定化能力が飛躍的に向上した点を挙げました。

この間、日本経済は全く異なった状況にありました。日本では、1980年代末から1990年代初にかけて、大規模な資産バブルが発生しました。その後、資産バブルが崩壊する過程で、経済が大幅に減速するとともに、金融システム不安が深刻化しました。そして、企業は、「3つの過剰」(設備・雇用・債務)、金融機関は不良債権問題への対応を余儀なくされました。2000年代半ばには、概ね資産バブルの負のレガシーへの対応を終えましたが、この間、1990年代初に4%程度であった潜在成長率は、1990年代末には1%程度まで低下しました(図表5)。物価面では、消費者物価の前年比は、1998年にはマイナスまで低下し、その後、約15年間にわたって概ねマイナス圏で推移しました。こうしたなか、インフレ期待も、当時、リアルタイムで正確に把握できていた訳ではありませんが、低下していったものとみられます。

この間、金融政策面では、1990年代初には6%であった政策金利は、1995年には0.5%まで低下しました。この時点で、短期政策金利の引き下げという伝統的な金融緩和手段は、既にほぼ使い果たした状態にありました。ポール・クルーグマンは、こうした状況を「Japan's trap」と呼び、長い間、マクロ経済学の教科書の片隅に載っている理論的な可能性に過ぎないものと見做されていた「流動性の罠」が、日本で実際に生じていると指摘しました。こうした罠から抜け出すため、日本銀行は、1999年には「ゼロ金利政策」、2001年には、日銀当座預金残高を金融市場調節の操作目標とする「量的緩和政策」といった、当時としては先駆的な非伝統的な金融政策を導入しましたが、デフレから脱却することはできませんでした。

前例のない政策対応を行ったにもかかわらず、日本経済はなぜ「流動性の罠」から抜け出せずにいたのでしょうか。事後的に振り返ってみると、当時、日本では、自然利子率の低下とインフレ期待の低下が同時に生じていました。こうした中、名目短期金利がゼロ制約に直面したため、実質金利を自然利子率よりも有意に低い水準まで引き下げ、十分な金融緩和を実現することが困難となりました。この結果、景気の低迷が物価下落を招き、物価下落が実質金利の高止まりを通じて景気低迷を招くという形で、景気低迷とデフレが、長期にわたり相乗的に作用することとなりました。

その後、2008年のグローバル金融危機の際には、日本経済は、再び大幅な落ち込みを経験しました(図表6)。当時、日本の金融機関は不良債権問題を既に克服しており、サブプライム関連商品に対するエクスポージャーは限定的であったにもかかわらず、実質GDPでみた経済の落ち込みは、危機の震源地であった米国や欧州を上回る深刻なものになりました。その背景としては様々な理由が考えられますが、当時、日本の政策金利は僅か0.5%であり、3~4%の利下げが可能であった欧米とは異なり、短期政策金利の引き下げを通じた金融政策の対応余地がきわめて小さかったことも少なからず影響しています。このエピソードは、インフレ期待を2%程度にアンカーすることによって景気に中立的な名目金利の水準を引き上げ、金融政策の対応力を確保することの重要性を示しています。

4.「量的・質的金融緩和」:期待に働きかける金融政策

2013年3月に日本銀行総裁に就任した私は、速やかに、従来とは全く異なる金融政策レジーム──「量的・質的金融緩和」──を導入しました。これは、(1)2%の「物価安定の目標」を掲げ、そのためには何でもやるという強く明確なコミットメントを行うことにより、人々の期待に直接働きかけること、(2)大規模な長期国債の買入れによって、直接的に長期金利の低下を促すこと、の2つを柱としています。前者によってインフレ期待が上昇し、後者によって名目長期金利が低下すれば、短期政策金利が「ゼロ金利制約」に直面した状態でも、実質金利を自然利子率より低い水準に誘導することが可能となります。

その後、日本銀行は、2016年1月に、国際金融市場の不安定化に伴う強い逆風に対処するため、マイナス金利政策を導入しました。マイナス金利政策は、イールドカーブの起点を引き下げ、大規模な国債買入れとあわせて、金利全般により強い下押し圧力を加えることを狙ったものです。さらに、2016年9月には、「量的・質的金融緩和」導入以降の経済・物価動向および政策効果についての「総括的な検証」を行い、その結果を踏まえて、短期金利に加えて、長期金利を操作目標とする「イールドカーブ・コントロール」を導入しました。もっとも、イールドカーブ全体にわたって名目金利を引き下げるとともに、インフレ期待を引き上げることによって実質金利を低下させるという基本的なアプローチは変わっていません。

「量的・質的金融緩和」は、現代の中央銀行論の中では「非伝統的金融政策」として位置づけられますが、やや長い視野でみれば、(1)期待への働きかけの重要性に関するホートレーの理論と、(2)長期国債の買入れによって金融緩和を行うことが可能であるというケインズの理論、の現代的な発展であると言えます。東洋のことわざに、「温故知新(visiting old, learn new)」がありますが、「量的・質的金融緩和」に至る知的変遷(intellectual journey)をよく表わす言葉と言えるでしょう。

「量的・質的金融緩和」は、実際に効果を発揮しました。インフレ期待は、「量的・質的金融緩和」の導入後、はっきりと上昇しました。中央銀行の強い意志が、人々のフォワード・ルッキングな期待の押し上げに影響することを示しています。また、「量的・質的金融緩和」による大規模な長期国債の買い入れは、イールドカーブ全体にわたって、名目金利の低下圧力をもたらしました。その結果、20年近くに及ぶ日本銀行の「ゼロ金利制約」との闘いの中で、初めて実質金利を自然利子率より有意に低い水準まで引き下げることに成功しました(図表7)。

こうした金融緩和の効果により、企業・家計の両部門において経済活動が刺激され、需給ギャップは大きく改善しました。企業収益は、過去最高水準で推移しています。失業率は3%を下回る水準まで低下し、ほぼ完全雇用が実現しています(図表8)。労働需給の引き締まりを受けて、賃金は緩やかながら上昇しています。特に、1990年代後半以降、長年にわたるデフレのもとで失われていたベースアップの慣行が復活し、今年まで4年連続で実現したことは特筆すべき変化と言えます。賃金の上昇を伴いながら物価上昇率が高まっていくという好循環が作用しています。すなわち、日本は、既に「物価が持続的に下落する」という意味でのデフレではなくなっています。

5.低インフレ下における新たな課題

この4年間の日本の経験は、20世紀前半以降の経済学が示す「期待に働きかける金融政策」の有効性を改めて示すものと言えます。ただ、その政策は日本経済を正しい方向に導くものではありますが、残念ながら、我々のintellectual journeyは、まだ完了していません。消費者物価上昇率は、このところゼロ%程度で推移しており、「物価安定の目標」である2%の達成には、なお距離があります。

その主な理由は、「量的・質的金融緩和」の導入によって明確に上昇したインフレ期待が、その後再び低下し、なお弱含みの局面が続いていることにあります(図表9)。我々の分析によると、日本の場合、長年にわたってデフレが続いたこともあって、欧米に比べて、インフレ期待の形成における適合的な要素が依然として強い状況です。その結果、様々な要因で現実の物価上昇率が低下すれば、それ自体は一時的な要因であっても、これに引きずられる形でインフレ期待も低下する傾向があります。2014年秋以降の原油価格の70%を超える下落や、2015年から2016年にかけての新興国経済の先行き不透明感に起因する国際金融市場の不安定化などによって、物価上昇率が低下するなかで、インフレ期待も低下しました。日本銀行は、人々の間に定着してしまったデフレマインドを抜本的に転換することを目指していますが、インフレに対する人々の認識を変えることは決して容易ではありません。ホートレーが看破したように、「問題は心理的なもの」だからです。

こうした事態に対応して、日本銀行は、昨年9月、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」導入の際に、「オーバーシュート型コミットメント」を導入しました(図表10)。消費者物価上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまでマネタリーベースの拡大方針を維持することにコミットしています。人々が実際に2%を超える物価上昇を経験することで、適合的な期待形成を通じてインフレ期待が上昇すると考えられます。同時に、こうした経験を通じて、中央銀行の「物価安定の目標」に対する信認が高まり、インフレ期待形成がよりフォワード・ルッキングなものとなり、2%程度にアンカーされることを企図しています。

1990年代後半以降、日本経済が直面してきた問題は、長年、日本に固有の問題と考えられてきました。しかしながら、グローバル金融危機を経て、資産バブルが崩壊し、金融システムが大きく毀損された後には、比較的長期間にわたって経済成長率が低迷し、物価上昇率も低下するということは、多くの国に共通した経験となりました。蓄積された経済学の知見を活かした中央銀行の果敢な対応によって、世界恐慌の再来は免れたほか、グローバルなデフレ懸念もかなりの程度後退しました。もっとも、今日の世界経済のパフォーマンスは、決して満足のいくものではありません。

振り返ってみると、「期待に働きかける金融政策」は、1970年代以降の世界的な高インフレの制圧に大きな役割を果たしました。1990年代以降の各国におけるインフレーション・ターゲッティングの導入や金融政策理論のめざましい発展も、暗黙には、高インフレへの対応を念頭に置いたものでした。こうした政策対応や理論の発展は、「大いなる安定」と呼ばれる好ましい状況をもたらしましたが、同時に、中央銀行は、「低インフレ環境下において、ゼロ金利制約のもとで、インフレ期待をどのように適切に管理(manage)していくのか」という新たな課題に直面することになりました。

こうした新たな課題に対する政策・理論面での対応は、まだ始まったばかりです。特に、インフレ期待の形成過程は、国・地域や時代によって異なり得るものであり、この点に関する実証分析を深めていくことが重要です。中央銀行としては、そうした分析を踏まえて、インフレ期待を適切に管理するための具体的な手法を検討していく必要があります。日本銀行が昨年導入した「オーバーシュート型コミットメント」は、日本が置かれた状況に対応したひとつの答えですが、学界や政策当局者の間で、グローバルな観点から議論がさらに深められていくことを強く期待しています。

英国の碩学は、1世紀近くも前に「金融政策における期待の重要性」に対する鋭い洞察を行いましたが、現代の我々に対して、古くて新しい課題を提供し続けています。

ご清聴ありがとうございました。