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【講演】市場の安定性確保と利便性向上の取組み

わが国金融資本市場のインフラ・過去と未来

ユーロマネー日本資本市場・グローバル発行体コングレスにおける講演

日本銀行副総裁 西村 清彦
2010年9月15日

目次

  1. 1. 2008年の金融危機:米欧と日本
  2. 2. 危機後の市場安定化に向けた取組み
  3. 3. グローバル競争下での利便性向上に向けた取組み
  4. 4. 安定的で利便性の高い市場インフラの実現に向けて

このたびは、ユーロマネー主催の「日本資本市場・グローバル発行体コングレス」にお招きいただき、ありがとうございます。

日本の金融資本市場がグローバル化の中でその地位を高めていくためには、第一に、市場の安定性が維持されていること、そして第二に、高度な利便性を備えていることが重要です。本日は、この2点についてお話したいと思います。

金融資本市場の安定性は、ストレス時においても市場の流動性が維持されていることであり、それは金融機関や企業の経済活動を支えるうえで必要不可欠なものです。このことはしばしば人間の活動を支える血液循環にもたとえられます。血液の循環は、普段は当然のこととして意識に上ることはありません。資金の流動性、そしてそれを支える市場の流動性も、普段は空気のように存在してその存在を特に意識することはありません。血液循環と同じく、市場の流動性は、それが失われて初めてその重要性に気付くことになりがちなのです。

そこでまず、この重要性を増す市場流動性の日本での状況について述べ、さらに現在、日本の金融資本市場で、市場の安定性向上に向けた取組みがどのようになされているかを、特に市場インフラ整備の視点から概観したいと思います。具体的には、2008年の金融危機において、日本の市場が、米欧対比相対的に安定していたことを説明いたします。それを受けて、金融危機後のわが国の市場安定化に向けた取組みを、米欧と比較しながら概観します。

金融資本市場を見るもう一つの視点は、市場の利便性向上です。金融機関や投資家による国際資金取引により、市場のボーダレス化が進んでいます。わが国の金融資本市場は、米欧の市場に加えて、このところ存在感を増しているアジアの新興国市場などとの激しい競争に晒されています。こうした観点からは、わが国の市場が、高度な利便性を有する市場インフラを備え、深化の進むグローバル化へ対処していく必要があるといえます。そこで本日は、これに関してグローバル競争下での日本市場の利便性向上に向けた市場インフラ整備の取組みを説明します。

最後に、市場の安定性確保や利便性向上に向けた市場参加者による取組みの重要性と、これらの取組みにおける日本銀行としての役割についても触れたいと思います。

1. 2008年の金融危機:米欧と日本

過去四半世紀、金融経済のグローバル化が進み、国際資金取引が著しく拡大しました。そのもとで一昨年秋のリーマン破綻をきっかけとした米国市場の混乱や機能不全は、またたく間に世界各国に伝播し、国際金融資本市場は大きく動揺することとなりました。特に、米欧においては、カウンターパーティ・リスクを意識した動きが急速に強まりました。そのため短期金融市場ではターム物を中心に市場流動性が極端に枯渇し、LIBORが急上昇するなど、緊張感が著しく高まりました。例えば、銀行間取引における流動性リスクやカウンターパーティ・リスクを示すLIBOR-OISスプレッドをみると、ドルやユーロの市場では、金融危機後にスプレッドが急激に拡大しており、金融機関の間で資金の融通を行う短期金融市場の緊張感が一気に高まったことを示しています(図1、「ドル」と「ユーロ」を参照)。

企業部門の資金調達環境をみても、リーマン破綻後、米欧企業の企業業績が大幅に悪化する中で、企業の格下げの動きが広まり、先行きの債務支払能力に対する不透明感が急速に高まりました。こうしたもとで、米欧の社債スプレッドは、高格付銘柄も含めて急速に拡大し、社債市場の流動性は大きく低下しました(図2、「米国」と「欧州」を参照)。

こうした市場の混乱は、各国の政府や中央銀行による大胆な政策対応などにより、2009年春以降、総じて安定に向かったものの、2010年に入ると、ギリシャの財政赤字をめぐる問題をきっかけに、欧州周辺国の財政内容や欧州系金融機関の経営状況に対する懸念が広がるなど、欧州の金融資本市場は不安定な動きが続いています。

他方、この間のわが国の金融資本市場をみると、リーマン破綻直後は、国際的な金融資本市場混乱の影響を受け、同様に不安定化する動きがみられましたが、足もとまでの動きをみると、相対的には安定しています。

例えば、短期金融市場では、リーマン破綻後に金利の上昇圧力が高まりましたが、カウンターパーティ・リスクに対する警戒感は、主として外資系金融機関との取引に止まりました。このため、円のLIBOR-OISスプレッドをみると、米欧と同様に拡大はしましたが、その拡大幅は相対的に小幅に止まりました。さらに、足もとでは、日本銀行による金融緩和効果が徐々に浸透することで、短期金融市場の金利は、やや長めの金利も含めて、極めて低い水準に低下しています(図1、「円」を参照)。

また、企業の資金調達環境をみると、わが国においても、リーマン破綻後に発行体の財務内容の悪化や同時期の株価の大幅下落を背景に銀行や生保など主要な社債の投資家のリスク許容度が低下し、社債の発行環境は米欧の動きにつられるかたちで悪化しました。しかしながら、発行ウエイトの過半を占めているAA格以上の高格付社債についてみると、危機後においてもスプレッドの拡大幅はBBB格に比べてかなり小幅に止まりました。この点は、高格付銘柄においても社債スプレッドが大きく拡大した米欧とは異なっていたと考えています(図2、「日本」を参照)。

こうしてみると、敢えて誤解をおそれずにいえば、わが国の金融資本市場は、今回の金融危機に対して相対的には——あくまで相対的という条件付ではありますが——安定的であったと言ってよいでしょう。

2. 危機後の市場安定化に向けた取組み

今回の金融危機の経験を経て、市場関係者の間では、市場のストレス時においても、金融資本市場の安定性が確保されていることの重要性を改めて強く認識しました。こうした認識のもと、内外の市場関係者の間で、市場安定化に向けた市場インフラ整備の取組みが進んでいます。

米欧における市場安定化の取組み

米欧においては、例えば、CDS取引を含む店頭デリバティブ取引について、市場の透明性やリスク評価の面で課題が認識され、清算集中など決済・清算に係る市場インフラ整備の検討が進んでいます。また、米国におけるフェイル慣行の見直しとレポ市場の改革を、目立つ取組みとして挙げることができます。

米国では、国債取引においてリーマン破綻後に前例のない規模のフェイルが発生しました。これを受けて、TMPG(Treasury Market Practices Group)とSIFMA(Securities Industry and Financial Markets Association)の共同により、急ピッチでフェイル慣行見直しの検討が行われています。昨年5月には低金利下におけるフェイル頻発を抑制することを目的としたフェイルチャージが導入されました。

また、米国のGCレポで一般的な、トライパーティ・レポ取引については、米国債のほかに、モーゲージ債や政府機関債、社債を担保とした取引が行われていました。ところがこれらの金融商品の価格下落をきっかけに、マージン・コール請求やヘアカット引き上げの動きがみられ、レポ市場の流動性が大きく低下しました。こうした経験から、ニューヨーク連銀が事務局である米国の大手銀行等の実務家が決済システムに関するリスクについて意見交換を行う決済リスク委員会、PRC(Payments Risk Committee)のもとに、昨年9月にタスクフォースが設置され、担保管理や決済慣行等の見直しについて検討が行われています。

わが国における市場安定化の取組み

これに対し、わが国の国債市場やクレジット市場が相対的に安定していたことは、前に申し述べたとおりです。こうした背景には、今回の金融危機においては、90年代に金融危機を経験したわが国の金融システムが、米欧の金融システムに比べ相対的に頑健であったことが挙げられます。

また、国債の決済においても、DVP決済への移行により元本取りはぐれリスクは回避されました。さらに、国債の清算機関であるJGBCC(Japan Government Bond Clearing Corporation)が、セントラル・カウンターパーティとして、取引当事者の間に入って双方の債務を引き受け、資金・証券決済の履行を保証しました。それにより国債流通市場全体でみた決済リスクは抑制され、国債決済においてデフォルトが市場全体に連鎖的に広がる事態が回避されました。

わが国の金融資本市場において、このように非常に深刻な事態が回避されたことは素直に歓迎すべきことではあります。がこれをもって、わが国の市場インフラが、危機時の市場安定性確保の観点からみて、米欧に比べて十分に整備されていたとは言えるわけではありません。むしろ、今回の金融危機においては、米欧とは異なるわが国固有の課題が改めて浮き彫りになりました。

具体的には、国債流通市場においては、フェイルが急増するもとで、既存のフェイル慣行が十分に機能せず、国債決済が大きく遅延しました。また、市場参加者の間では、フェイルするリスクを回避するため、新たなレポ取引そのものを手控える動きが広がりました。信用度の高い国債を担保とする有担保取引であるレポ取引は、無担保取引より安全・確実な資金調達手段として、危機時の流動性確保において大きな役割を果たすことが期待されていました。しかし現実には、フェイルの急増等に伴い混乱をきたし、国債レポ市場の流動性が低下しました。

こうした経験を踏まえて、市場関係者では、フェイル慣行の定着に向けた同慣行の見直しを始め、国債決済期間の短縮によるリスク管理強化などが課題として認識されています。

フェイル慣行の見直し

具体的には、フェイル慣行の定着に向けた見直しについて、日本証券業協会のワーキング・グループにおいて検討が行われ、本年11月より、フェイルチャージの導入などの見直しが実施される予定です。今回の見直しにより、これまでフェイルの容認に慎重であったと言われる最終投資家側で、フェイルについての理解が広く浸透し、実務上フェイルに対応可能な事務処理体制が整備されることが大変重要です。今後、フェイル慣行の定着が進み、平時の流動性のみならず、ストレス時においても市場の流動性を維持または早期に回復する環境が整備され、わが国レポ市場の安定性が強化されることを期待しています。

国債決済期間の短縮等

国債の決済については、先程述べましたとおり、元本リスクなどの顕現化が回避されました。しかし市場関係者の間では、デフォルトやフェイルが頻発しやすい市場のストレス時に、モノ(債券)やカネ(資金)を予定どおり受け取れないことに伴う流動性リスクが改めて課題として認識されました。

例えば、国債のアウトライト取引の場合、米国や英国では約定日の翌日に決済するT+1取引、ドイツでは2日後決済のT+2取引が主流であるのに対し、わが国では、約定日の3日後に決済するT+3取引が標準的な決済期間となっており、米欧より長めであるのが実情です。わが国の決済期間が長めであるのはレポ取引も同様です。そこで市場関係者の間では、国債のアウトライト、レポ取引について、未決済残高を抑制する観点から、決済期間短縮の実現に向けた方策が検討されています。

さらに、国債の清算機関であるJGBCCにおいては、リーマン破綻後において、日中の決済進捗の遅れを招いたことが指摘されています。そこでガバナンスの充実を図ったうえで、清算機関参加者の破綻など緊急時における資金調達スキームの拡充や、フェイル対象債券の割当ルールの明確化等に取組む方針が示されています。

日本銀行では、こうした市場参加者における取組みを積極的に支援してきており、今後、フェイル慣行が定着するもとで、国債決済期間の短縮や清算機関における更なる機能改善が進み、市場のストレスに対する国債流通市場の安定性が一層強化されることを期待しています。

3. グローバル競争下での利便性向上に向けた取組み

社債市場や株式市場においては、このような市場の安定化に向けた取組みと並行して、市場取引の利便性向上に向けた取組みや検討も進んでいます。

社債市場の活性化

すでに述べた通りわが国では、今般の金融危機時において、AA格以上の高格付銘柄について社債市場が一定の機能を維持したと評価できます。しかしながらA格以下の社債発行がリーマン破綻後に困難化、あるいは発行条件が悪化しました。そのため大手企業の多くが危機時において社債から銀行借入に資金調達をシフトしました。こうした経験から、市場関係者においては、わが国の社債市場が、企業の資金調達チャネルとして、まだ十分な機能を果たしておらず、市場の流動性向上のための取組みが必要との認識が強まりました。

わが国の金融構造を改めてみますと、(1)企業の資金調達は銀行借入が中心で、米国などに比べて、社債市場の規模は小さいのが実情です。また、このことの裏返しでもありますが、(2)社債市場における発行体の構成をみると高格付の企業が中心で、投資家についても国内の銀行や生命保険会社が中心であるなど、市場参加者の拡がりが乏しい状況です。さらには、(3)社債の発行が活発でないもとで、社債流通市場が未整備であるといったことがわが国固有の課題として改めて認識されました。

このため、日本証券業協会の「社債市場の活性化に関する懇談会」においては、低格付社債を含め、社債の発行や投資をしやすい環境を整備し、発行体や投資家のすそ野を拡大するための方策について検討が行われ、本年6月に報告書が公表されています。

同報告書では、発行市場に関して、(1)発行会社の利便性を向上する取組みとして、「引受審査の見直し」を検討することとなったほか、(2)投資家の低格付社債の保有促進に向けた取組みとして、「コベナンツの付与及び情報開示」や「社債管理のあり方」などについて見直しが検討されることになりました。さらに、流通市場に関しては、(3)投資家の適切な投資判断や、発行企業における起債環境の判断などに役立てるため、「価格情報インフラの整備」が課題として挙げられており、現在検討が行われています。今後、市場関係者における検討が進展し、社債市場の安定性と利便性の向上に向けた市場インフラの整備が進むことが期待されます。

株式市場のインフラ強化

この他、株式市場においても、アジアの新興国市場などとの競争が高まる中で、取引の利便性向上に向けた取組みがみられています。

具体的には、東京証券取引所において、本年1月に、現物取引を行う新しい売買システム、アローヘッド(arrowhead)が導入されました。IT技術の発達に伴い証券取引所を巡る環境は大きく変化しており、市場参加者においては、システムが一定の処理方式に則って、自動的に注文を出すアルゴリズム取引と呼ばれる取引手法が普及しています。また、海外においては、取引所における注文・約定処理速度の高速化とともにHFT(High Frequency Trading)と呼ばれる高頻度トレーディングが行われ、取引の高速化が進んでおり、アローヘッドの導入は、こうした内外の投資家による取引の自動化・高速化ニーズに応えるものといえます。このほか、東京証券取引所では、主要国では少ない立会い時間における昼休みの廃止など、取引時間の拡大について、市場関係者との意見交換を進めています。

また、わが国では、PTS(Proprietary Trading System)と呼ばれる、私設取引システムにおける取引所外取引のウエイトは上場株式取引全体の1%にも満たない極めて低い状況ですが、本年7月には大手の取引所外取引のシステム提供会社が海外から進出しています。今後、株式取引の場が、取引所における取引と取引所外取引との間で多極化し、それらの間で競争が強まることになれば、先程申し述べた東京証券取引所における各種の取組みとともに、投資家の投資機会の拡大や取引の活性化につながることが期待されます。

他方、米国では、本年5月に株価の一時的な急落、いわゆるフラッシュ・クラッシュが発生しており、アルゴリズム取引の活発化や取引所外取引の普及による取引の多極化が、市場の不安定化をもたらすのではないかとの懸念が聞かれています。この点について、わが国では、例えば、個別銘柄の値幅制限などが設けられており、こうした制度がこれまでの市場の安定性に寄与してきたと考えられます。が、市場関係者においては、今後も、わが国における市場取引における自動化・高速化の流れも踏まえつつ、市場の安定化にも十分に目配りをしていくことが重要であると考えています。

4. 安定的で利便性の高い市場インフラの実現に向けて

金融資本市場のインフラ強化

今般の金融危機の経験を踏まえ、市場において常に安定的に流動性が確保されていることの重要性が改めて認識されました。市場インフラの整備にあたっては、単に取引の活性化を図るための利便性向上の方策を検討するのではなく、市場のストレス時を想定して、安定的な市場を実現するための方策を併せて検討していくことが重要であると考えています。

リーマン破綻後の経験を踏まえつつ、わが国においてもいくつかの課題について、市場の安定性確保と利便性向上の双方に配慮した取引制度や市場慣行が着実に整備されてきています。こうした取組みや検討が、今後さらに進展し、わが国の金融資本市場が、市場参加者にとり信頼性の高い安定した市場であるとともに、多様な投資家や資金調達のニーズに応えられる利便性の高い市場となることを期待しています。

中央銀行の役割

最後に、中央銀行と市場インフラの整備について申し上げます。中央銀行における金融政策の効果は、市場参加者における様々な取引や市場間の裁定を通じて、市場全体や実体経済に波及します。また、短期金融市場は、中央銀行にとって、金融政策を遂行していく上で不可欠な日々の金融調節を行っている政策遂行の現場でもあります。さらに、日本銀行は資金取引や国債取引等の決済インフラである日銀ネットを自ら運営し、決済サービスを提供する立場でもあり、市場インフラの一翼を担っています。したがって、中央銀行にとっても、金融資本市場の安定性が維持されるとともに、利便性の高い市場インフラが整備されることは極めて重要な課題と認識しています。

日本銀行では、今後も引き続き市場関係者との対話を通じて、市場におけるインフラ整備の取組みを可能な限り支援するとともに、新日銀ネットの構築などを通じて、決済インフラの改善の面から主体的にも寄与していきたいと考えています。

ご清聴、ありがとうございました。

以上