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【講演】 賃金と物価:過去・現在・そして将来 日本経済団体連合会審議員会における講演

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日本銀行総裁 植田 和男
2023年12月25日

1.はじめに

日本銀行の植田でございます。本日は、わが国の経済界を代表する皆様の前でお話しする機会を賜り、誠に光栄に存じます。

昨年のこの場では、黒田前総裁より「長きにわたる低インフレ・低成長の流れを転換できるかという重要な岐路に差し掛かっている」と指摘させて頂きました。2023年を振り返りますと、まさに転換に向けた動きがみられた1年になったと思います。景気は、経済活動の正常化や供給制約の緩和などを受けて、緩やかな回復に転じ、マクロ的な需給ギャップはゼロ近傍まで改善しています。物価上昇率は、2%を上回る状況が続きました。この主因は、既往の輸入物価上昇の価格転嫁ですが、景気が改善するもとで、企業の賃金・価格設定行動にも変化の動きがみられます。こうした変化の動きを踏まえますと、わが国が過去25年間直面してきた低インフレ環境を脱し、日本銀行が目指している2%の「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現していく確度は、少しずつ高まっているとみています。

本日は、最近の物価情勢とそれと密接に関連する賃金動向について、お話ししたいと思います。賃金・物価の現状を評価し、将来を予測していくうえでは、「なぜ、これまで賃金・物価が上がりにくい状況が続いてきたのか」という問題を考えてみることが不可欠です。そこで、まずは、過去の振り返りから、話を始めさせて頂きます。

2.過去:低インフレ環境にかかる事実整理と背景

1990年代後半の賃金・物価情勢の変化

では、時計の針を、いったん25年前、1990年代後半に戻します。わが国の賃金・物価の動きを確認しますと、1990年代半ば頃までは、小幅とはいえ、上昇が続いてきました。これらの前年比がゼロないしマイナスになったのは、1990年代後半です(図表1)。

1990年代後半にみられた変化は、集計値でみた物価上昇率がゼロ近傍まで低下した、ということだけではありません。よりミクロのデータをみていきますと、多くの品目について価格を据え置く傾向が急速に強まりました。本来、個別品目の価格は、その品目特有のコストや需要動向に応じて上下するのが自然ですが、1990年代半ば以降、サービスを中心に、価格が据え置かれる品目の比率が高まり、価格改定の頻度が低下しました(図表2)。賃金面でも、多くの企業で、ベアの慣行が失われました。物価上昇率の低下に加え、厳しい経済環境下、労使が協調して雇用の安定を優先したこともあって、賃金の伸びが鈍化しました。こうした変化は、賃金・物価が「動く」世界から「動かない」世界に移行したと整理することができます。なお、同時期、米欧でも賃金・物価上昇率は低下しましたが、それでも、ある程度の価格改定は実施されており、企業が賃金・価格を据え置く方向に大きく変化したわけではありません。

低インフレ環境の定着

では、なぜ、わが国では、低インフレが社会に根付き、賃金・物価が動かなくなってしまったのでしょうか。基本的な背景は、様々な賃金・物価の押し下げ圧力が長期にわたり作用したことだと考えています。

すなわち、バブル崩壊後のバランスシート調整圧力が長引くもと、金融危機やその後の金融仲介機能の低下も受けて、1990年代後半以降、景気停滞が長期化しました。2000年代半ばには、漸く景気回復が本格化しマクロの需給ギャップもいったんプラスに転化しましたが、その後、リーマンショックや東日本大震災等の相次ぐ大きなショックに見舞われ、経済・物価は再度下押しされる展開となりました(図表3)。

需要面からの強力な下押し圧力が断続的に加わるもとで、人口動態の変化やグローバル化といった構造的な変化が賃金・物価を押し下げる方向に継続して作用した点も見逃せません。人口減少は、内需の成長期待を押し下げ、設備投資等を抑制する方向に作用した可能性があります。グローバル化の進展も、賃金・物価の下押し圧力として作用した面があります。新興国の成長は、新たな市場を生み出しましたが、同時に国際競争の激化をもたらしました。わが国では、産業構造や地理的な条件もあって、安値輸入品との価格競争の影響を強く受けた面があります。企業の財務データを用いた分析からも、企業の製品市場での価格競争力が低下するもとで、原材料コスト等の上昇を販売価格に上乗せすることが難しくなり、賃金抑制を余儀なくされたことも示唆されます(図表4)1

賃金・物価の下押し圧力がかかるもとで、日本銀行は、2000年代初頭に「量的緩和政策」を導入するなど世界に先駆けて非伝統的な金融緩和手段を採用し、景気の底割れや金融システム不安の強まり、物価の大幅な下落などを回避することに努めました。しかし、主要な金融政策手段である短期金利がゼロ%まで低下するもと、金利の引き下げ余地が限られ、十分に経済を刺激し、賃金・物価上昇率をはっきりとプラスに戻すことはできませんでした。

このようにゼロ近辺の賃金・物価変化率が続くもとで、次第に、このこと自体が、先行きも賃金・物価が「動かない」との人々の予想を強める方向に作用したものと考えられます。顧客の価格目線が厳しく、競合他社も値上げを選択しないと見込まれるもとでは、コストが幾分上昇しても、自社だけが値上げという選択肢を取ることは容易ではありません2。個社の値上げが大きなニュースとして取り上げられるケースさえみられたことは、皆様もご記憶かと思います。価格を上げないことが当然視されると、値上げのハードルは更に高まることになります。マクロ経済学では、企業の価格改定のコストをメニューコストと呼びます。メニューコストの語源は、価格改定時に「値札」を変えるコストということですが、実際に値上げを行うにあたっては、顧客への説明・交渉など様々なコストが生じます。わが国では、価格の据え置きが長期化し値上げのノウハウが喪失されるなどする中で、このメニューコストが著しく大きくなってしまい、本格的に価格が動かなくなった面もあるかもしれません。賃金・物価が「動かない」ことが当たり前になるもと、2010年代後半には、マクロでみた需給ギャップが継続的にプラスとなり、労働需給の引き締まり感も強まりましたが、それでも賃金・物価の上昇幅は、小幅にとどまりました。

  1. 福永・城戸・吹田(2023)は、1990年代から2010年代にかけて、海外発のショックがわが国の物価を押し下げる方向に作用したことを示しています。また、青木・高富・法眼(2023)や法眼・伊藤・金井・來住(2023)では、厳しい競争環境下、わが国の企業の価格マークアップが縮小し、それを補うように賃金の抑制圧力が強まったことが示されています。
    福永一郎・城戸陽介・吹田昂大郎(2023)、「インフレの国際連動性と日本の物価変動」、未定稿
    青木浩介・高富康介・法眼吉彦(2023)、「わが国企業の価格マークアップと賃金設定行動」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No. 23-J-4.
    法眼吉彦・伊藤洋二郎・金井健司・來住直哉(2023)、「国際経済環境の変化と日本経済─論点整理─」、未定稿
  2. 佐々木・山本・中島(2023)は、わが国では、企業のコスト上昇による消費者物価上昇率への影響(パススルー)には、コスト上昇の大きさに応じた非線形性が存在することを指摘しています。また、池田・倉知・近藤・松田・八木(2022)は、短観の個票データを用いて、競合他社が値上げに踏み切らないもとでは、コストが上昇しても販売価格を引き上げない傾向がみられることを示しています。
    佐々木貴俊・山本弘樹・中島上智(2023)、「消費者物価への非線形なコストパススルー:閾値モデルによるアプローチ」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No. 23-J-5.
    池田周一郎・倉知善行・近藤卓司・松田太一・八木智之(2022)、「短観からみた最近の企業の価格設定スタンス」、日銀レビュー・シリーズ、No. 22-J-17.

3.現在:賃金・物価情勢の変化と政策運営の考え方

グローバルな物価上昇圧力

ここで、時計の針を「現在」に進めます。コロナの影響が和らいだ2021年以降、世界的に物価上昇率は、急速に高まりました。経済活動の正常化を受けた需要の急回復が、サプライチェーン障害等に伴う供給制約やロシアのウクライナ侵攻に伴う資源価格高と相まった結果です。米欧では、物価上昇率は一時前年比10%程度となり、わが国でも、昨春以降、輸入原材料コストの大幅な上昇がラグを伴って波及するもとで、前年比2%を超える物価上昇率が続いています。長らく販売価格を据え置いてきた企業でも価格を引き上げるなど(図表5)、今回の輸入物価上昇というショックは、少なくとも短期的には、企業の価格設定行動に大きな変化をもたらしました。

それでは、賃金・物価が「動かない」世界は本当に過去のものとなったのでしょうか。まず目につくのは、今回の物価上昇の起点となった輸入物価の前年比は、本年春頃からマイナスとなっており、企業間物価の前年比も、最近ではゼロ%近傍まで伸び率が低下していることです。消費者物価段階でも、食料品や日用品など財の価格の前年比プラス幅は縮小に転じており、既往の輸入物価上昇による物価押し上げ効果は、時間を要するにせよ、次第に和らいでいくものと見込まれます。

賃金と物価の好循環

輸入物価上昇の影響が和らいでいくもとで、賃金と物価が「動く」ようになったのか判断するうえで焦点になるのが、最近の企業の行動変化が持続するか、という点です。足もとの物価上昇は輸入物価急騰という特殊な環境に依るものであり、この影響が和らげば、再び賃金も物価も動かなくなるという見方もあります。しかし、私としては、今度こそ、低インフレ環境を脱し、賃金と物価の好循環が実現することを期待しています。

過去の局面では、輸入原材料コストの上昇に伴う企業収益や所得の減少から景気の改善基調が途切れ、値上げの動きが広がらないこともみられました。これに対し、今次局面では、政府の経済対策や日本銀行による金融緩和の継続もあって、需要は支えられ、賃金・物価の好循環の実現をサポートしているといえます。こうしたもと、企業収益が過去最高を更新して改善しているのは、過去の局面との大きな違いです。

また、人口動態やグローバル化といった、これまで賃金・物価を構造的に下押ししてきた要因にも、一部で変化がみられます。高齢化や人口減少が、内需の成長期待を抑制する方向に作用しやすいことには変わりはありません。しかし、ベビーブーマー世代が、労働参加率が大きく下がる75歳に差し掛かっていることもあって、高齢者を中心とした労働供給の増加ペースは鈍化していくことが見込まれます(図表6)。このことは、賃金の上昇要因として作用すると考えられます。グローバル化についても、少なくとも海外からの安値輸入品との競合が、物価を押し下げるという環境は変化しつつあります。やや長い目でみると、各国で進むサプライチェーン強靱化や経済安全保障の動き、企業の気候変動問題への対応やESGに対する意識の高まりなどに伴い、供給面からの物価へのショックの頻度や持続性、性質が変わり、グローバルな物価環境に影響を及ぼしている可能性にも、目配りしていく必要があります。

実際、企業の価格設定の考え方やインフレ予想の指標をみますと、中長期的な見通しにも変化がみられ、賃金・物価情勢の変化が一時的ではないとの見方が少しずつ強まっているようにみえます。企業の販売価格の見通しは、輸入物価が下落するもとでも、中期的にはしっかりと上昇する姿が維持されています。中長期的なインフレ予想の指標をみても、企業・家計・エコノミストと主体を問わず、緩やかに上昇しています(図表7)。また、企業の方々からは、今回、久方ぶりに「値上げ」を経験したことで、今後は、価格改定の交渉がしやすくなるとの声も聞かれるところです。これは、先ほど指摘したメニューコストが小さくなっている可能性を示唆しています。

先行きの注目点

このように低インフレ環境から脱し、「物価安定の目標」が実現していく確度は、少しずつ高まってきていますが、現時点では、なお十分に高いわけではないことも申し上げなければなりません。内外の経済・物価情勢を巡る不確実性はきわめて高いため、今後、企業の賃金・価格設定行動がどう変化していくか、確認していく必要があります。

賃金設定面では、来年の春季労使交渉で、はっきりとした賃上げが続くかが、重要なポイントとなります。最近の賃金を巡る環境を確認しますと、労働需給は、昨年との対比でみても、引き締まっています(図表8)。賃上げの原資となる企業収益も、経済活動の改善に加え、価格転嫁の進展や為替円安もあって、増加しています。この間、労働分配率は、足もと低下しているように窺えます(図表9)。企業収益を維持するためには、原材料価格の転嫁が必要ですが、そのことによる物価上昇は、家計からみれば負担の増加となります。景気が内需主導で持続的に回復し、賃金と物価の好循環が強まっていくためには、企業収益の増加が家計所得の向上につながることが不可欠です。

このため、価格設定面では、賃金や間接費など原材料以外のコストの上昇も含め、企業が販売価格に反映していけるのか、という点がポイントとなります。賃金上昇をある程度販売価格に反映することができなければ、賃金と物価の好循環は長続きしません。この点、最近、コストに占める労務費の比率が高いサービスの価格が徐々にプラス幅を拡大していることは、注目すべき材料です。ただし、企業からの声を伺いますと、労務費上昇の販売価格への転嫁は容易ではないとの見方が、なお多いとの印象も持っています(図表10)。政府は、先日、労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針を策定されましたが、この価格設定行動への影響にも注目しています。

金融政策運営の考え方

続いて、今申し上げた賃金・物価情勢のもとでの金融政策運営の考え方について、ごく簡単に申し上げます。これまで、日本銀行は、効果と副作用のバランスを取りつつ、粘り強く金融緩和を継続してきました。こうした対応は、米欧の中央銀行が、物価上昇率の急速な高まりに対応するため、大幅な利上げを進めてきた対応と対照的にみえるかと思います。

米欧の中央銀行と日本銀行との政策対応の違いの背景にある最大の要素は、物価と賃金を巡る状況の違いです。米欧でも、物価が上がり始めた当初は、コロナ後の経済活動再開に伴う摩擦的なものとの判断から、静観していました。もっとも、その後、2%の物価上昇率と概ね整合的に動いていた賃金に一段の上昇圧力がかかるもとで、賃金・物価がスパイラル的に高まるリスクを警戒し、大幅な利上げに踏み切りました。これに対して、わが国では、本日強調させて頂きましたように、賃金・物価が「動かない」状況が続いてきました。こうした状況から転換し、賃金上昇を伴う形で、物価が持続的・安定的に上昇するために、日本銀行は金融緩和を粘り強く継続しているところです。

もっとも、今後、賃金と物価の好循環が強まり、2%の「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現する確度が十分高まれば、わが国でも、金融政策の変更を検討していくことになります。内外の経済や金融市場を巡る不確実性を踏まえますと、その時期が「いつ」になるのか決め打ちは出来ませんが、経済情勢や企業の賃金・価格設定行動をしっかりと点検し、適切に判断していきたいと考えています。

4.将来:物価安定と企業・経済

緩やかな物価上昇と政策対応余地

ここまで、わが国の賃金・物価情勢について、過去を振り返ったうえで、最近の変化をお話ししてきました。続いて、時計の針を、将来に進めます。ここでいう「将来」とは、賃金と物価の好循環が実現した世界を想定しています。こうした好循環は、企業の皆様方、あるいはわが国経済にとって、どのような意味があるのか、考えてみたいと思います。

標準的な経済学では、物価上昇率が小幅のプラスとなることの最も明確なメリットとして、景気下振れに対する金融政策での対応余地が拡大することがあげられます。金融緩和の主たる波及経路は、金利を引き下げ、経済活動を刺激することにあります。ゼロインフレが持続するもとでは、名目金利も対応して低く、それを追加的に引き下げる余地があまりありません。これに対して、プラスのインフレ率が持続する世界では、名目金利も高くなり、必要に応じて、金利を大きく引き下げる余地があります。金融政策が有効に機能することは、先行き経済が大幅に悪化したり、デフレに戻るリスクが減ることを意味します。これは世界でも広く意識されている考え方であり、金融政策の対応余地が確保されることによって経済の安定性が高まることは、企業の皆様方が事業計画を策定されるうえでも、大きなプラスとなると考えています。

資源配分等への影響

また、わが国の経験を踏まえますと、賃金・物価が「動く」ようになることは、より大きなプラス効果を経済にもたらす可能性があるのではないか、と考えています。

本日ご説明しましたように、わが国が陥った低インフレ環境の大きな特徴は、賃金・価格設定行動において現状維持のバイアスが強くかかり、多くの品目で価格が据え置かれるようになったことでした。このことは、個々の商品の間の相対価格が変化しにくくなり、市場の価格発見機能が働きにくくなったことを意味します。結果として、資源配分が非効率的となり、経済全体でみた生産性を損なっていた惧れもあります。賃金についても、同様です。厳しい時代に、ベアを凍結し、賞与を削減することを通じて、雇用を守ったことの意義は大きかったと思います。しかし、厳しさが和らいだ後も賃金の上がりにくい状況が続けば、労働の配置や賃金制度が固定化されてしまいます。毎年賃金が上がるような状況になれば、柔軟な賃金設定を通じて、より効率的な労働力の配置につながる可能性があります。この点、最近では、労働市場が引き締まるもとで、正社員の転職市場が活発化するなど、変化がみられてきました。こうした動きも、必要な分野に適切に人材が配置されていくことを後押しし、経済全体にとってプラスとなると考えられます。

企業行動への影響

では、このように賃金・物価が「動く」ようになることは、企業の皆様方にどのような影響をもたらすものなのでしょうか3。日本銀行では、今年の春に開始した金融政策の「多角的レビュー」の一環として、まさに現在、企業の皆様方への大規模なアンケート調査を進めています。そこでは、過去25年の企業行動やその最近の変化に関する一般的な質問に加えて、企業の皆様方にとって賃金・物価が「動く」世界と「動かない」世界とどちらが望ましいのか――その理由は何か――について、お考えを伺っているところです。ここにいらっしゃる企業の多くからもお答え頂きつつありますが、ご協力に感謝申し上げます。

企業の皆様方のお考えについては、こうした対話を通じて把握していきたいと考えていますが、現時点で考えられる一つの仮説は、賃金・物価が「動く」世界では、企業の皆様方もより動きやすくなるのではないか、というものです。例えば、事業計画策定の際、賃金や物価が「動く」ならば、従来よりも柔軟な賃金・価格設定や商品戦略を取りやすくなる面があるのではないでしょうか。人手不足の継続が見込まれるもとでのデジタル化・省力化、脱炭素等の気候変動対応、サプライチェーンの強靱化など、企業の取り組むべき課題やテーマは事欠きません。新たな環境のもとで、これらの課題をチャンスと捉え、企業が積極的に「動く」傾向が強まっていけば、経済全体にその好影響は波及していくはずです。

もちろん、賃金・物価が「動く」世界に移行することは、企業の皆様方にとって、新たな挑戦でもあります。人材確保にせよ、価格・商品戦略にせよ、ヒトやモノへの新たな投資を含めこれまでとは異なる対応が必要となるかもしれません。企業の皆様方が、賃金と物価の好循環が実現する世界で生じうるメリットを最大限活用し、前向きの動きを強めていくことを、強く期待しております。

  1. 3この影響について、理論的・実証的に明らかにしているものは多くはありませんが、一例として、東京大学の渡辺努教授による低インフレ・デフレ環境が経済や企業行動に及ぼす影響に関する一連の研究があります(例えば、渡辺努・渡辺広太(2016)、「デフレ期における価格の硬直化:原因と含意」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No. 16-J-2.)。

5.おわりに

そろそろ、頂いた時間も、残り少なくなってきました。本日は、わが国の賃金・物価情勢の過去・現在・そして将来をテーマにお話しさせて頂きました。

最後に、改めて時計の針を「現在」に戻して、本日のお話を終わらせて頂きます。企業の賃金・価格設定行動は変化してきており、2%の「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現していく確度は、少しずつ高まってきています。日本銀行としては、こうした動きを確たるものとするため、粘り強く金融緩和を継続し、賃金が上昇しやすい環境を整えているところです。先行きは、経済情勢を丁寧に点検するとともに、賃金と物価の好循環が強まっていくのか――すなわち、物価上昇を反映した賃上げが実現するとともに、賃金上昇が販売価格に反映されていくのか――注視し、「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現について適切に判断していく方針です。

ご清聴ありがとうございました。