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【挨拶】 最近の金融経済情勢と金融政策運営名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶

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日本銀行総裁 植田 和男
2023年11月6日

1.はじめに

日本銀行の植田でございます。本日は、東海地域の経済界を代表する皆様とお話しする機会を賜り、誠にありがとうございます。皆様には、日頃より、私どもの名古屋支店の様々な業務運営にご協力頂いております。この場をお借りして、厚くお礼申し上げます。また、本日、皆様方と意見交換をさせて頂くことを大変楽しみにしております。日本銀行では、過去25年間に実施してきた非伝統的金融政策の効果・副作用について理解を深め、将来の政策運営にとって有益な知見を得るため「多角的レビュー」を進めています。レビューでは、各界の方々との意見交換を進めており、本日も、過去25年の経済・物価情勢や企業行動の変化、各種政策の効果・副作用などについて、皆様方から忌憚のないご意見を頂ければ幸いです。

意見交換に先立ちまして、私からは、先週公表いたしました最新の「展望レポート」の内容を紹介しつつ、わが国の経済・物価情勢と金融政策運営の考え方について、ご説明したいと思います。

2.経済情勢

経済の現状と先行きのメインシナリオ

はじめに、経済情勢についてです。わが国の景気は、緩やかに回復しています。先行きも景気の回復は続くとみており、今回の展望レポートでは、2023年度が+2.0%と高めの成長となったあと、2024年度・2025年度も潜在成長率を幾分上回る1%程度の成長を続けるとの見通しを示しました(図表1)。

企業部門をみますと、輸出は、海外経済が勢いを欠くもと、IT関連などで弱さがみられますが、半導体の供給制約緩和を受けた自動車関連の増加などを背景に、全体としては感染症前を上回る水準で推移しています(図表2)。こうしたもと、企業収益は、国内の経済活動の正常化や価格転嫁の進展もあって、既往ピークを更新しました。収益の拡大は設備投資に波及しており、9月短観で確認された今年度の設備投資計画は、昨年を10%程度上回るはっきりとした増加となっています(図表3)。先行きも、企業部門では、収益の改善が設備投資の増加につながるという前向きの循環メカニズムが働き、改善を続けると見込んでいます。

家計部門に目を転じますと、感染症下で抑制されていた需要、いわゆるペントアップ需要の顕在化を受けて、個人消費は増加基調にあります。ただし、これまでのところ、春季労使交渉を経て賃上げは実現したものの、物価上昇が続くもとで、個人消費の増加ペースは緩やかです(図表4)。先行きは、ペントアップ需要は次第に鈍化していくとみられますが、物価高を反映する形で賃金がしっかりと上昇を続け、個人消費を支えていく姿が明確化することを見込んでいます。

経済を巡るリスク

ただし、こうしたメインシナリオを巡る不確実性はきわめて高い状況です。

一つの大きなリスクは海外経済です。最新のIMFの「世界経済見通し」は3%程度の緩やかな成長が続くことを見込んでいますが、各国・地域で下振れリスクを抱えています。先進国では、インフレ率が低下してきてはいますが、なお中央銀行の目標対比では高めです。特に、米国では、堅調な景気展開が続くもとで、市場では、金融引き締めの長期化が意識され、夏場以降、長期金利が大きく上昇しました。これまでの急速な利上げの影響が、今後ラグを伴って実体経済面・金融面の双方で強く出てくる可能性もあり、国際金融市場や為替市場への影響にも十分注視していく必要があります。中国経済についても、不動産市場の調整などの構造問題を抱える中で、回復のモメンタムが損なわれることがないか、注意が必要です。また、ウクライナや中東を巡る地政学的リスクなどから、資源・穀物価格に上昇圧力が加わるリスクにも目を配る必要があります。

国内面では、輸入物価上昇の消費者物価への転嫁が進む中で、賃金の上昇が追い付かず、個人消費を抑制することがないか、引き続き、注意が必要です。実際、値上がりが大きい食料品などでは、低価格帯商品への需要シフトといった生活防衛的な動きがみられています。ペントアップ需要が鈍化したあとも個人消費が底堅さを維持するためには、後程指摘しますように、賃金と物価がバランスよく上昇していくことが必要です。

3.物価情勢

物価の現状と見通し:「第一の力」を背景とした上振れ

続いて、物価情勢に話を進めます。今回の展望レポートでは、生鮮食品を除く消費者物価の前年比について、2023年度と2024年度が+2.8%と高い伸びを続けたあと、2025年度は+1.7%となる見通しです(図表5)。2023年度と2024年度の見通しは、7月時点から上振れています。

このように高めの物価上昇率が当面続く背景には、二つの力が作用しています。「第一の力」は、輸入物価上昇の価格転嫁による物価上昇圧力です。エネルギーや穀物等の輸入価格の上昇は、ラグを伴いながら消費者物価に波及しています。これに対して、「第二の力」は、景気の改善が続くもとで、賃金と物価が相互に連関しつつ高まっていくメカニズムを指しています。

今回、来年度にかけての物価見通しを大幅に上方修正した主因は、これらのうち「第一の力」が長引くと考えたことにあります。食料品や日用品を中心に、既往の輸入物価上昇の販売価格への転嫁が一巡した品目や業種もありますが、競合他社を含めて値上げの動きが広がるもとで、新たに販売価格引き上げに踏み切る先もみられます。これに加え、このところの原油価格上昇は、政府の経済対策によるエネルギー価格押し下げ効果が来春に剥落することを前提とすれば、来年度を中心に、物価上昇要因となります。

ただし、「第一の力」の起点となる輸入物価の前年比は、昨年半ばにピークを付けたあとプラス幅を縮小し、本年春頃からはマイナスとなっています。企業間物価の上昇率も本年入り後は明確に鈍化しており、最近では、スーパーなど小売店での食料品や日用品等の価格の前年比プラス幅も縮小に転じました(図表6)。これらの点を踏まえますと、「第一の力」による物価押し上げ効果は、原油価格上昇もあって時間を要するにせよ、次第に減衰していくと考えられます。2025年度の生鮮食品を除く消費者物価の見通しが、2024年度までと比べて低下するのは、こうした考え方に基づいています。

「第二の力」と「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現

もっとも、2025年度の物価見通しは、生鮮食品を除くベースで+1.7%、生鮮食品に加えてエネルギーの影響も除いたベースでは+1.9%です。「第一の力」が一巡したあとも、感染症拡大前のようにゼロ%台の物価上昇率に戻ることは想定していません。

これは、物価を押し上げる「第二の力」、すなわち、賃金と物価の好循環が強まっていき、消費者物価の基調的な上昇率が2%に向けて徐々に高まっていくとみているためです。

従来から、日本銀行は、こうした「第二の力」が強まるもとで、賃金の上昇を伴う形で、2%の「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現していく姿を目指してきました。最近では、企業の賃金・価格設定行動の一部に従来よりも積極的な動きがみられ始めています。賃金面をみますと、本年の春季労使交渉では、物価上昇も背景に、30年振りの水準となる賃上げが実現しました。また、価格設定面でも、コストに占める人件費の比率が高い業界の一部からは、人件費の継続的な上昇を念頭に、値上げを実施したとの声も聞かれます。短観の企業の販売価格見通しをみても、「1年後」の見通しは原材料コストの落ち着きから低下した一方、「5年後」の見通しは非製造業中心に幾分上昇しており、賃金等の上昇が続くことが予測され始めている可能性があります。中長期的な予想物価上昇率も緩やかに上昇しており、賃金・価格設定行動に影響を及ぼしてきているとみられます(図表7)。

そうした中で、2%の「物価安定の目標」に向けた見通し実現の確度が少しずつ高まってきていると思われますが、先行き「第二の力」がどの程度強まっていくのか不確実性は高く、現時点では、「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現を十分な確度をもって見通せる状況には、なお至っていません。わが国では、長期にわたる低成長やデフレの経験などから賃金・物価が上がりにくいことを前提とした慣行や考え方が社会に根付き、「第二の力」が働きにくい状況が続いてきました。今後、企業の賃金・価格設定行動の変化が広まり、賃金と物価の好循環が強まっていくか、丹念に確認していく必要があります。こうした見極めに際して、ポイントとなりうる点を2点申し上げます。

1つ目は、先行きも賃上げが続き、社会に定着していくか、という点です。とくに来年の春季労使交渉は重要な点検ポイントであり、その動向を注視していく必要があります。賃金を巡る環境を確認しますと、まず、労働需給は着実に引き締まっています。短観の雇用人員判断DIは、「不足」超幅が感染症前のピークに迫る水準まで拡大しています。正社員の転職市場も拡大しており、労働需給の引き締まりが賃金に波及しやすくなってきている可能性もあります(図表8)。賃上げの原資となる企業収益も、全体としてみれば既往ピークを更新しています。ただし、収益の改善ペースは業種や企業規模間でばらつきがあります。中小企業を中心に、本年の賃上げは、収益力が必ずしも十分ではない中で実施したとの声も聞かれており、こうした先で、来年も賃上げの動きが継続するかは不透明です。労働需給や企業収益の動向を引き続き点検するとともに、マクロのデータとミクロのヒアリング情報の両面から企業行動を丁寧に分析し、賃金設定行動の変化を見極めていきたいと考えています。

2つ目は、企業が、賃金等の上昇を念頭に置きながら販売価格を設定するスタンスが強まるか、という点です。賃金と物価の好循環が実現していくためには、企業が、将来の賃上げの原資となる収益を安定的に確保していく必要があります。先ほど指摘しましたように、この面でも、一部でこれまでにない動きがみられ始めていますが、原材料コストと異なり、賃金等の間接費の上昇については、販売価格への転嫁は容易ではないとの指摘も少なくありません。企業の価格設定行動の変化が広がっていくか、今後の動向を確認していく必要があります。

4.日本銀行の金融政策運営

金融政策運営の基本的な考え方

次に、日本銀行の金融政策運営についてお話しします。

ここまで申し上げてきたように、消費者物価の基調的な上昇率が高まっていくという日本銀行の見通しは、今後、賃金と物価の好循環が強まっていくとの想定に基づいています。この点、企業の賃金・価格設定行動の一部に従来よりも積極的な動きがみられ始めているのは好材料です。もっとも、先ほど申し上げたとおり、想定通りに好循環が強まっていくのか、なお不透明です。こうした状況下では、イールドカーブ・コントロールの枠組みのもとで粘り強く金融緩和を継続することで、経済活動を支え、賃金が上昇しやすい環境を整えていくことが政策運営の基本となります。

イールドカーブ・コントロールの運用

この間、イールドカーブ・コントロールの枠組みのもとで、粘り強く金融緩和を継続していくためには、長期金利を強力に低位で抑えることで経済を刺激する効果と、これに伴う副作用のバランスを取ることが求められます。

先週の金融政策決定会合では、こうした考え方に基づいて、イールドカーブ・コントロールの運用の見直しを行いました。具体的には、長期金利の操作目標は引き続きゼロ%程度としつつ、その上限の目途を1.0%とし、大規模な国債買入れと機動的なオペ運営を中心に運用していくことにしました。1.0%の利回りで毎営業日無制限の国債買入れを行う運用は取り止めます。内外の経済・金融市場を巡る不確実性がきわめて高い中、今後の情勢変化に応じて、金融市場で円滑な長期金利形成が行われるよう、イールドカーブ・コントロールの運用において、柔軟性を高めておくことが適当であると判断したものです(図表9)。金利上昇圧力がかかる局面において、長期金利の上限を厳格に抑えようとすると、そのことが債券市場の機能やその他の金融市場のボラティリティに影響を及ぼすおそれがあります。今回の見直しは、こうした副作用が生じることを和らげることに資すると考えられます。

新たな運用のもとでも、大規模な国債買入れは継続しますし、金利上昇局面では、引き続き、長期金利の水準や変化のスピード等に応じて、機動的にオペで対応します。そのため、長期金利に上昇圧力がかかる場合であっても、1%を大幅に上回って推移するとはみていません。長期金利が幾分上昇する可能性はありますが、金融政策が経済・物価に与える効果を捉えるうえでは、予想物価上昇率を勘案した実質金利が重要です。先ほど申し上げたように、昨年以降、予想物価上昇率は緩やかに上昇しており、長期金利が上昇する中でも、実質金利はマイナス圏で推移を続けてきました。先行きも、実質金利はマイナス圏で推移するとみられ、十分に緩和的な金融環境は維持されるとみています。

5.おわりに

最後に、当地経済について中長期的な視点から触れさせて頂きます。

まずは、イノベーションの進展についてです。当地は、わが国の重要なものづくりの拠点であり、その競争力は不断のイノベーションによって支えられていますが、足もとでも新たな動きがみられています。例えば、自動車産業では、電動化の進展の中で、サプライチェーンも含めた大きな変革が起きつつあり、産業そのものの在り方を変えるような技術が次々に打ち出されています。また、多くの企業や自治体の連携のもと、水素やアンモニアのサプライチェーン構築や需要創出に向けた実証実験などが行われています。このほか、ロボット産業など先端的な産業についても、自治体による積極的な支援のもと集積が進んでいます。このように、当地が引き続きわが国のイノベーションの発信地になっていくための取り組みが進んでいることを心強く思います。

また、当地では自然との共生を目指したテーマパークが注目を集めているほか、中心市街地の再開発が進むなど、街としての魅力向上に向けた取り組みも進んでいます。

当地が、ものづくりの拠点としても、訪れる先としてもさらに魅力を高め、多くの人に選ばれることで、当地経済が持続的かつ多彩に発展していくことを期待して、私からの挨拶とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。