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【挨拶】最近の金融経済情勢と金融政策運営大阪経済4団体共催懇談会における挨拶

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日本銀行総裁 植田 和男
2023年9月25日

1.はじめに

日本銀行の植田でございます。本日は、関西経済界を代表する皆様とお話しする機会を賜り、誠にありがとうございます。皆様には、日頃より、私どもの大阪、神戸、京都の各支店の業務運営にご協力頂き、厚くお礼申し上げます。私にとって、今回のような形での関西経済界の皆様との懇談会は、審議委員を務めていた2003年以来、20年振りです。当時から、経済界の方々との意見交換は大変刺激的でしたし、本日も、忌憚のないご意見をお寄せ頂けることを楽しみにしております。

以下では、皆様方との意見交換に先立ちまして、私から、わが国の経済・物価情勢や金融政策運営の考え方についてお話しさせて頂きます。

2.経済の現状と先行き

経済の現状

はじめに、わが国経済の現状についてお話しします。わが国の景気は、感染症下で抑制されていた需要、いわゆるペントアップ需要が顕在化し、供給制約も緩和するもとで、緩やかに回復しています(図表1)。

家計部門をみますと、個人消費は、宿泊や飲食などを中心にペントアップ需要が顕在化するもとで、緩やかながらも着実に増加しています(図表2)。また、海外からの入国制限が解除されるもとで、インバウンド需要も急速に回復しています。

企業部門に目を転じますと、個人消費の回復から非製造業の活動が改善しているほか、製造業でも、半導体の供給制約の緩和を受けた自動車増産の好影響が関連業種に波及しています。こうしたもとで、輸出は感染症前を上回る水準で推移しています(図表3)。価格転嫁の進展もあって企業収益は4から6月にはピークを更新し、設備投資も、しっかりとした動きを続けています。

先行きのポイント

こうした景気の改善傾向は、――第2四半期の実質GDPで内需はやや弱めとなりましたが――先行きも続くとみています。ただし、ここまで景気回復の原動力となってきたペントアップ需要や供給制約の緩和は、その性質上、いつまでも続くことは期待できません。これらの追い風が弱まった後の景気展開という点では、次に申し上げる2点を見極めることが、重要になります。

1つ目は、海外経済の動向です。インフレ率がはっきりとした低下に転じるなか、米国等では実体経済も底堅く推移し、ソフトランディング期待も高まっています。もっとも、インフレ率は、現時点では目標対比でなお高めとなっています。先行き、インフレ率を目標に収束させるにあたり、景気後退を避けつつ、経済成長を持続させることができるのか、予断は許しません。米国では、求人数の減少など労働市場の引き締まりの緩和を示唆する指標がみられる一方、賃金は高い伸びを続けており、インフレ率が想定ほど低下していかない可能性もあります(図表4左図)。また、これまでの急速な利上げの影響が、ラグを伴って実体経済面・金融面の双方で強く出てくるリスクにも引き続き注意が必要です。米国の金融環境の動きが国際金融市場や為替市場に与える影響についても、十分注視する必要があります。中国経済の持ち直しペースが鈍化している点も気がかりです。最近の中国経済の弱さには、不動産市場の調整や高水準の若年失業率といった構造的な要因が影響している可能性もあります(図表4右図)。中国経済の回復力を巡る不確実性は大きいと思われますし、その動向をよくみていきたいと考えています。

2つ目は、国内において、企業収益や家計所得が増加し、それが支出の拡大につながるという前向きの循環が強まっていくか、という点です。この点、企業部門では、高水準の収益が継続するもとで、それをデジタル・脱炭素関連など将来を見据えた投資に振り向ける前向きな動きが確認されています。家計部門でも、個人消費は、ペントアップ需要の押し上げ効果が弱まっていくもとでも、所得の増加に支えられる形で増加を続けると想定しています。現時点では、物価上昇が重石となるもとで、値上がりが大きい食料品などでは、低価格帯商品への需要シフトといった生活防衛的な動きがみられており、これらを含む非耐久財の消費は伸び悩んでいます(図表5)。本年の春季労使交渉では高めの賃上げが実現しましたが、先行きも賃上げの動きが継続し、所得面から個人消費を支える力が強まっていくか、注視していきたいと考えています。

3.わが国の物価情勢

「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現

次に、物価に話題を移します。

日本銀行は、賃金の上昇を伴う形で、2%の「物価安定の目標」を持続的・安定的に実現することを目指しています。そのためには、景気が改善するもとで賃金が上昇し、それによる家計の購買力の改善を踏まえて、企業が価格を引き上げる、そして、企業の売上・収益が改善し、それが次の賃金引き上げの原資となる、という好循環を実現していくことが求められます。こうした循環が形成されていく過程で、企業・家計の予想物価上昇率は上昇し、毎年価格が上昇することを見越したフォワードルッキングな賃金・価格設定行動が徐々に定着していくものと思われます。この結果、賃金と物価の好循環はより持続的なものとなります。

この点、わが国では、1990年代後半以降、賃金・物価が上がらないことを前提とした考え方や慣行が社会に根付くもとで、賃金と物価が連関してしっかりと上がることはありませんでした。2000年代には、資源価格上昇から消費者物価が大きめに上がる局面もみられましたが、内外の厳しい競争環境もあって、賃金は停滞しました。2010年代半ば以降は、経済情勢が改善するもとで、賃金・物価とも上昇率がプラスに転じましたが、いずれも小幅なものにとどまりました。

私は、こうした状況から脱却し、賃金と物価の好循環を実現していくことは、個々の企業にとっても経済全体にとっても大きなプラスになる可能性があると考えています。これまで、多くの企業は、販売価格の引き上げが困難な状況下、コスト削減に力点を置いた経営戦略を策定し、固定費の増加につながる賃金の引き上げにも慎重にならざるを得ない面がありました。こうした状況を脱し、価格戦略に多様性が生まれると、コスト削減以外の面により目を向けることが可能となり、新たな高付加価値製品の開発など、創意工夫を凝らす余地がより広がっていくように思います。ひいては、企業の生産性上昇につながるきっかけにもなるかもしれません。こうした前向きな行動が強まっていけば、わが国経済のダイナミズムも高まっていくことが期待されます。このあたり本日ご参加の皆様方のご意見を是非伺いたいところです。

物価の現状

さて、ではこうした目指すべき姿を念頭に置きつつ、最近の物価動向を確認していきたいと思います。消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、昨年から上昇率を高め、本年初には4%程度となりました。その後、政府の経済対策によるエネルギー価格の押し下げもあってプラス幅は縮小しましたが、直近8月も+3.1%となっています(図表6左図)。

こうした昨年来の物価上昇には、二つの力が作用しています。「第一の力」は、2021年以降の大幅な輸入物価上昇の価格転嫁です。消費者物価を品目別にみますと、食料品など輸入原材料を多く使う品目で上昇が目立っており、これまでの物価上昇の多くが、この「第一の力」によるものであることは明らかです。ただし、この「第一の力」自体は、輸入物価の上昇という一時的なショックを起点としたものであり、いずれは減衰する性質のものです。価格転嫁の大きさが過去を上回っており、2%を超える物価上昇率が長引いていることは事実ですが、これだけで、「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現が近づいていると評価することはできません。

目標に近づいたか評価するうえでポイントになるのは、賃金と物価の好循環につながりうる「第二の力」、すなわち景気が改善するもとで、賃金が上昇し、それが物価の緩やかな上昇につながるというメカニズムが強まっていくか、それに伴って、将来の価格上昇を見越したフォワードルッキングな賃金・価格設定が広がっていくか、ということです。この点、最近では、企業の賃金・価格設定行動の一部に従来よりも積極的な動きがみられ始めており、「第二の力」が少しずつ物価に影響を及ぼし始めていると感じています。賃金設定面では、多くの企業が、より戦略的に人材確保を進める方向にシフトしてきました。春季労使交渉では、新卒採用を優位に進めることも念頭に、賃上げ幅を高めた先が相次ぎました。また、正社員の中途採用に本格的に取り組む先が増加するもとで民間の転職市場も拡大しており、人材獲得競争は激しさを増しています。経済活動の水準が高まり人手不足感が強まるもとで、先行き人口動態の変化もあって労働供給面の制約が強まっていくという課題が改めて認識されているようにも思われます。

販売価格の設定という面でも、一部にこれまでにない動きがみられます。企業の方々からは、「長いこと販売価格引き上げをしてこなかったので、社内のノウハウ不足から、昨年はコストが上昇しても値上げに時間を要した」といったお話を伺うことがありました。もっとも、最近では、そうした状況に変化がみられ、価格の改定頻度は高まってきています。仕入価格を販売価格に反映するだけでなく、地域や時間帯によって価格を変更するダイナミック・プライシングを採用するなど、戦略的に価格設定に取り組む動きもみられています。一部ではありますが、将来の賃金コスト等の上昇を見越して、販売価格を予め引き上げるというフォワードルッキングな価格設定の動きが出てきていることも、賃金と物価の連関の高まりを示唆する重要な変化として注目しています。

物価の先行き

次に、物価の先行きに話題を移します。日本銀行としては、物価を押し上げる主役が「第一の力」から「第二の力」に徐々にバトンタッチし、賃金と物価の好循環が強まっていく姿をメインシナリオと考えています。「第一の力」、すなわち価格転嫁の影響についてみますと、その起点となる輸入物価の前年比は、昨年半ばにピークを付け、その後上昇率を縮小させています(図表6右図)。先行きについては、国際商品市況等の動きに左右される面はありますが、基本的には、次第に減衰していくことが予測されます。一方、企業の賃金・価格設定行動の変化が続けば、景気の改善から賃金上昇率が伸びを高め、それが緩やかな物価上昇につながるという「第二の力」は強まっていくと期待されます。

ただし、こうした「期待」を示させて頂いたうえで、メインシナリオを巡る不確実性はきわめて大きく、現時点では、それが実現していくか確信が持てないことも付け加えておかねばなりません。人口動態の変化もあって追加的な労働供給余地が限られていくことも踏まえますと、景気が改善を続ければ、人材獲得競争が激しさを増し、賃上げ率が高まっていく可能性は高いように思われます。むしろ、企業の行動変容は、想定しているより急速に進むかもしれません。一方で、一度根付いてしまったデフレ的なマインドセットが抜本的に転換するには時間を要するとの見方にも、説得力があります。先行き、国内外でネガティブなショックが発生するようなことがあれば、みられ始めた変化の動きが途切れてしまい、賃金・物価が上がりにくい状態に戻ってしまうことも考えられます。現時点では、来年以降も高めの賃上げを実施するか判断を留保している企業も多く、賃金設定行動がどの程度持続性をもって変化しているのか、見極める必要もあります。

4.日本銀行の金融政策運営

続いて、日本銀行の金融政策運営についてお話しします。

ここまで申し上げてきたように、現時点では、企業の賃金・価格設定行動の一部に変化はみられ始めていますが、先行きこうした変化が広がっていくか、不確実性がきわめて大きい状況です。こうしたもとで、賃金の上昇を伴う形での、2%の「物価安定の目標」の持続的・安定的な実現を見通せる状況には至っていないと判断しています。わが国経済は、賃金と物価の好循環が実現するかの正念場を迎えており、変化の「芽」を大事に育てていくことが重要な局面にあります。こうした情勢判断のもと、現在のイールドカーブ・コントロールの枠組みによる金融緩和を粘り強く続けていく必要がある、というのが金融政策運営の基本的な考え方です。

ただし、長期金利を低位に抑える現在の枠組みは、経済を刺激する効果が大きい一方、局面によっては強い副作用を生み出すこともあります。そのため、将来の不確実性も踏まえつつ、こうした効果と副作用のバランスをとっていくことで、この枠組みのもとでの緩和効果を追求していくことができます。こうした観点から、7月の金融政策決定会合では、長期金利の操作目標は「ゼロ%程度」、変動幅は「±0.5%程度」と維持したうえで、変動幅の位置づけを「目途」とし、市場の状況によっては、長期金利が0.5%を超えて動きうる運用としました(図表7)。これは、先行き、物価の上振れ方向の動きが続いた場合、長期金利を低い水準で厳格に抑えようとすると、債券市場の機能やその他の金融市場におけるボラティリティに影響が生じるおそれがあるとの判断に基づいています。このようにイールドカーブ・コントロールの運用を柔軟化したことは、この枠組みによる金融緩和の持続性を高める効果があったと考えています。

5.おわりに

本日は、最近の経済・物価情勢と日本銀行の金融政策運営についてお話ししてきました。最後に、本年4月より実施している金融政策の「多角的レビュー」について一言申し上げて、私からの話を終えたいと思います。

「多角的レビュー」は、1990年代後半以降、日本銀行が採用してきた様々な非伝統的金融政策の効果・副作用について理解を深め、将来の政策運営にとって有益な知見を得ることを目的としています(図表8)。その際に重要となるのが、金融政策をそれ単独で評価するのではなく、わが国経済が置かれてきた状況との相互関係の中で評価することです。わが国で物価が上がりにくい環境が続いた背景についても、理解を深める必要があります。

このプロジェクトを進めていくにあたっては、多様な知見を取り入れつつ、客観性や透明性を高めることが重要であり、企業の皆様方とも、日本銀行の本支店のネットワークを活用して対話を進めさせて頂ければと考えています。本日も、関西経済界を代表する皆様方との貴重な意見交換の場を頂きました。過去25年の経済・物価情勢や企業行動の変化、各種政策の効果・副作用などについて、是非忌憚のないご意見を頂ければ幸いです。

ご清聴ありがとうございました。