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【挨拶】わが国の経済・物価情勢と金融政策

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群馬県金融経済懇談会における挨拶要旨

日本銀行政策委員会審議委員 佐藤 健裕
2013年2月6日

目次

  1. 1.はじめに
  2. 2.最近の金融政策運営
  3. 3.内外の金融経済情勢
  4. 4.結語

1.はじめに

日本銀行は1月21〜22日の金融政策決定会合で金融緩和を思い切って前進させることとし、「物価安定の目標」を新たに導入し、これを消費者物価の前年比上昇率で2%とするとともに、資産買入等の基金について「期限を定めない資産買入れ方式」を導入すること等を決定した。また、政府との政策連携の強化に向けた共同声明を公表することとした(図表1)。

既に公表されているように、私は「物価安定の目標」を消費者物価前年比上昇率で2%とすることに反対票を投じた。しかし、金融政策決定会合では多数決により政策を決定することとなっており、前述の決定となっている。したがって、以下では、私は日本銀行が今般決定した2%の「物価安定の目標」達成を念頭に置きながら、今後の日本銀行の金融政策運営のあり方について話を進めてまいりたい。

2.最近の金融政策運営

「中長期的な物価安定の目途」から「物価安定の目標」へ

日本銀行は「物価の安定」を数値で表現するに当たり、2012年2月に定めた「中長期的な物価安定の目途」(消費者物価の前年比上昇率で2%以下のプラスの領域で当面は1%)に代えて、今回新たに「物価安定の目標」を導入し、これを消費者物価の前年比上昇率で2%とした。

昨年2月からの文言の変更点は「中長期的な」という修飾語を取ったこと、及び「目途」を「目標」としたことである。これらは柔軟なインフレ目標政策に対する理解がわが国でも浸透してきたという情勢変化を踏まえたものである。

すなわち、今日ではインフレ目標政策の導入国でも目標インフレ率に応じて政策を機械的に運営するというスタンスはとられていない(図表2)。これは、近年の多くの信用バブルが、その時点では物価が安定しているとの認識のもとで発生し、バブル崩壊後は経済と物価の大幅な変動に見舞われたという苦い経験に基づく知見である。また、特にリーマン・ショック以降、多くの海外主要国は、金融システムの安定への配慮の重要性を対外的に明確にするなど、金融政策運営の柔軟性確保という視点を強く意識するようになってきている(図表3)。

こうした情勢変化を踏まえれば、「中長期的な」という修飾語を敢えて入れる必要はないし、「目途」か「目標」かといった言葉の違いも本質的な問題でなくなってきていると言えるであろう。

物価安定の目標を2%とした理由

先般1月22日の対外公表文にあるように日本銀行は日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取り組みの進展に伴い、持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていくと認識している(図表4)。2%という目標は現状の物価上昇率を前提とすると高く見えるが、日本銀行としては、幅広い主体による競争力と成長力強化の取り組みの成果を確認する前にまず自らが先んじて物価目標を設定することが適当であるとの判断のもと、今回の決定を行った。そもそも現在の家計・企業あるいは市場の予想物価上昇率は過去に長く続いた、諸外国よりも一貫して低い物価上昇率をベースに形成されてきたものである(図表5)。日本銀行は、今後、政府・日本銀行や民間の取り組みにより成長力の強化が進展していくにつれて、現実の物価上昇率が徐々に高まり、そのもとで家計・企業や市場の予想物価上昇率も上昇していくと認識している。さらに、日本銀行が先んじて2%という高い物価目標を設定することで他の幅広い経済主体の期待に働きかけ、競争力・成長力強化に向けた取り組みを促し、家計・企業や市場の予想物価上昇率に影響を及ぼす効果も期待される。

一方、仮に先行き物価がオーバーシュートして2%を上回るような局面があるとしても、日本銀行が2%という目標を明確にしておくことで、予想インフレ率をアンカーし、持続可能な物価上昇率の安定を図ることに資すると考えられる。

ただし、このように消費者物価の前年比上昇率が2%でアンカーされるためには日本銀行の政策運営に対する信認が確保されていることが非常に重要である。1月会合後の記者会見で総裁が言及したように、私は、(1)消費者物価の上昇率2%は、現状、持続可能な物価の安定と整合的であると判断される物価上昇率を大きく上回ること、(2)また2%の目標値を掲げる上では、成長力強化に向けた幅広い主体の取組みが進む必要があるが、現に取組みが進む前に2%の目標値を掲げると金融政策の信認を毀損する惧れがあること、から木内委員とともにこの目標の決定に反対した。しかし、冒頭申し述べたとおり、私は日本銀行の決定を履行し、それに責任を負う立場にある。2%の物価安定の目標達成の蓋然性を高め、目標の信認を高めていくことは、先行き私を含めた政策委員に課せられた重要な政策課題である。

過去において2%は相当高い物価上昇率であった

では、この2%という数字はどういう数字であろうか。日本経済において、石油ショック以降、2%超の消費者物価上昇を実現した時期はわずかであったし、それらは総じて日本経済が厳しい状況に直面していた時期であった(図表6)。過去20年余りの例では、消費税要因を除くと、1980年代後半の資産バブルの余熱があった1990年4月〜92年12月とリーマン・ショック直前の2008年7月〜9月がそれに当たる。前者はディマンドプル型インフレではあったが、異常な資産価格高騰後のいわば余熱であり、また相前後して起こった資産価格の崩落は金融危機を誘発し、その後の日本経済の長期低迷の一因となった。後者は典型的なコストプッシュ型インフレで、交易条件悪化による購買力の海外流出を伴い、経済厚生は却って低下した。このように、過去20年余りの間にほとんど実現しなかった高いインフレ率を物価の安定と整合的な物価上昇率と定義して目指すことは、日本銀行にとり大きな意識変革を迫るものであり、挑戦でもある。

そもそも、日本銀行は2000年代半ばまで物価安定を数値で示してこなかった。例えば、2000年10月、ゼロ金利解除の直後に日本銀行は「『物価の安定』についての考え方」という文書を発表したが1、その中で日本銀行は「『物価の安定』の定義を数値で表すことは適当でない」と結論付けている。日本銀行が物価の安定についての数値表現に踏み込んだのは、2006年3月に「中長期的な物価安定の理解」という形で、各政策委員が中長期的にみて物価が安定していると理解するレンジの和集合として「0〜2%」の範囲を示したのが最初である2。その後、こうした数値表現を各委員の考えるレンジの和集合でなく、「中長期的な物価安定の目途」という形で、日本銀行として中長期的に持続可能な物価の安定と整合的と判断する物価上昇率を打ち出したのは、そこから更に約6年を経た2012年2月のことであった3

その間、日本経済は程度の差こそあれ緩やかなデフレが続いていた訳だが、物価安定の数値表現にこれだけ時間を要したのは、名目ゼロ金利制約のもとでインフレ率引き上げへの決定打を欠いたことが大きい。そもそも諸外国におけるインフレ目標政策は、高すぎるインフレ率を目標内に収束させることを目的としていたが、日本では、インフレ目標政策は低すぎるインフレ率を引き上げるための手段と認識されている。しかし、緩み切った「紐を押す」ことは困難との比喩にもある通り、デフレ下の金融政策運営はインフレ下のそれよりもはるかに困難である。

人口減少や高齢化という経済への逆風が強まるなかで、2%という物価安定の目標は正直申し上げてかなり野心的である。先行き年間1%弱の労働力人口の持続的な減少が見込まれており、何の手も打たなければ、日本経済は毎年1%弱、GDPが減少し続けることが明白な経済である。こうした状況下で、2%の物価上昇が見込めるところまで需給ギャップを引き上げるためには、これまで以上に成長力強化の取り組みを進め、需要創出を図っていく必要がある。更に、そうした物価上昇を目指すに当たっては、経済のIT化やグローバル化に伴う世界的なフィリップス曲線のフラット化の進行、すなわち需給ギャップの改善に対する物価の反応速度の一段の鈍化という現実を踏まえる必要もある(図表7)。すなわち、目標の実現は先行きますます厳しいチャレンジとなってきているのである。

  1. 1 「物価の安定」についての考え方(2000年10月13日公表)
  2. 2 「物価の安定」についての考え方(2006年3月10日公表)
  3. 3 「中長期的な物価安定の目途」について [PDF 71KB](2012年2月14日公表)

必要なのは賃金の回復

それにしても、日本はなぜ10数年もの間、デフレから抜け出せないのであろうか。1990年代後半、デフレの初期段階では資産価格の大幅な下落や金融危機による信用収縮、生産性の低い企業の退出が遅れたことによる過剰供給力の温存などが主因であった。もっとも、2000年代半ば以降、金融システム問題を克服した後のデフレは新たなフェーズに入っており、その主因は賃金にあると考えている。財やサービスの価格はそれを生産するための費用の影響を受ける。生産費用が人件費と原材料費からなるとすると、多くの原材料費は国際競争のなかで決まるため、その価格の変動は為替相場の動きを別にすれば、ほぼ世界共通に影響を与えるはずで、日本だけがデフレになる理由にはならない。原因は生産費用を決めるもう一つの要素である賃金にあると考えられる。

実際、消費者物価と賃金は密接に相関している(図表8)。そもそも消費者物価の構成品目の約半分はサービスで、サービス価格はサービス業の賃金と概ね連動している(前掲図表8)。サービス業は労働集約的で賃金の動向が価格に反映されやすい。従って、物価安定の目標である2%の消費者物価上昇率を目指すには、とにもかくにも賃金の回復が重要である。もっとも、年間の名目雇用者報酬はリーマン・ショック後に10兆円超減少した後もほとんど回復らしい回復を示していない(図表9)。賃金の回復をみるためには、その原資である企業収益を拡大させると同時に、企業が労働分配率を引き下げないことが肝要である。賃金回復のチャンスは2000年代半ばに実際にあった。新興国の需要が火付け役となり、信用バブルも手伝って世界経済が過熱し、製造業中心に企業収益が過去最高益を更新するなか、企業は雇用者への還元を増やすことが期待された。しかし、この時期、企業は内部留保の積み上げを優先し、労働分配率は低下した(前掲図表9)。主要労組も企業の分配政策に異を唱えなかったため、賃金はほとんど上がらなかった。足許はいわゆる企業を取り巻く6重苦4の逆風のなか、主要製造業の一部で競争力が顕著に低下したこともあり、分配を増やそうにも原資が増えない状況にある。

  1. 4 一般的には、円高、高い法人税率、FTAへの対応の遅れ、製造業の派遣禁止などの労働規制、環境規制の強化、電力不足を指す。

米国は雇用者数で調整、日本は賃金で調整

日米におけるこれまでの雇用調整のあり方の違いも、賃金のパフォーマンスに影響しているとみられる。米国では、雇用調整を行う際には、賃金ではなく雇用者数を大胆にカットし、不採算部門からの撤退を比較的迅速に行う。結果的に、名目賃金は景気循環にかかわらず2〜4%前後の伸びを保っているし、経済に超過供給力が温存されにくいためデフレになりにくい。横軸に失業率、縦軸に賃金上昇率をとった賃金版フィリップスカーブをみても同様のことが言える(図表10)。こうした景気後退下で厳しいレイオフを行っても賃金を削減しないという米国流の雇用調整は日本ではなかなか理解されにくいであろう。一方、日本では、労働法制の違いもあって、失業率は相対的に安定しているが、失業率の変化に対する賃金の反応スピードは大きい。すなわち、景気後退下でも解雇による雇用調整は相対的に限定的であり、調整される場合には主に賃金の削減によってなされる傾向にある。結果的に、日本では非効率な部門の整理・再編が遅れ、労働分配率が高止まりし、経済の新陳代謝が進まず、過剰供給力が温存されやすい。このように雇用調整のコストを広く薄く負担しあう構造となっていることが緩やかなデフレからなかなか脱することができない一因となっている可能性がある。

では、日本は景気拡大下で雇用市場が逼迫すれば賃金の伸びも高まりやすいと言えるのであろうか。悲観的かもしれないが、足許では日本企業の競争力が低下し、企業の稼ぐ力そのものが弱っており、必ずしもそうとは言えない可能性がある。先行きの成長見通しが低下した産業や不採算部門を時間をかけて整理していくうちに、企業や産業自体がいつの間にか競争力を失っているかもしれない。企業の価格支配力が弱まり、仕入れ値の上昇を売り値に転嫁できていない状況はこうした競争力の低下を端的に示している可能性が高い(図表11)。

いずれにせよ、2%の物価上昇率を目指すには4%程度の賃金の伸びを生みだす経済の基礎体力をまずつけることが肝要である。様々な経済主体による成長力や競争力強化の取り組みへの期待はそれだけ大きい。

現実的には何ができるか?

では、2%の物価安定のため、金融政策面からは、どのような貢献ができるだろうか。本来的には経済の活動水準が高まり、需給ギャップが縮小することで賃金とともに一般物価水準が上昇していくのがバランスの取れた物価上昇である。かつ、そうした物価上昇は持続的でなければならない。幅広い経済主体が競争力強化と成長力強化に取り組むことでそうした物価安定を実現するにせよ、政府や日本銀行はこれまでも成長力強化に取り組んできた。しかし、これまでの延長線上の政策で2%という数字はなかなか現実感を持って受け止めにくく、これまでとは次元の異なる相互の取り組みが必要とされている。

一般論として、名目ゼロ金利制約下でデフレに陥った経済が刺激され、物価の回復に至る経路として有望と考えられるのは、第一に為替市場を通じた経路、第二に資産市場を通じた経路であろう。

前者については、昨年12月の会合で日本銀行は短期国債と中長期国債の買入れ増額を図っているが、これは、現行の付利体系を維持するもとでも金利低下による内外金利差の縮小や逆転を通じて間接的にせよ為替相場への働きかけを強めるものと考えている。また、先の1月会合で導入を決定した期限を設けない買入れ方式は、そうしたスタンスをさらに強めるものと考えている。

後者については、日本銀行は12月会合で貸出支援基金を正式に立ち上げ、銀行の貸出増加を資金供給面から強力に後押しする政策を取っている。この政策は民間銀行による貸出増加への取り組みが前提であり、日本銀行ができることはそうした民間の取り組みを後押しすることである。足許資金需要が低迷し、民間銀行に資金のアベイラビリティ面でのボトルネックが存在しないなかでは、日本銀行が貸出増加を強力にサポートすることへの限界も指摘される。もっとも、かかる銀行貸出が実体経済や資産市場に向かえば資産価格を通じた物価への波及効果が期待できるかもしれない。特に経済に対する前向きのモメンタムが実際に働き始めると、この貸出支援の効果は強まると期待している。また、かかる貸出が借り手の円投により企業や銀行の海外での設備投資やM&Aに向かうことになれば、為替円安に向けた動きを間接的に促すことにも繋がる。いずれにせよ、金利などへの働きかけを通じて、為替市場や資産市場へ間接的に働きかけていく観点も重要である。

実質ゼロ金利下で間接的に為替レートに働きかけるための方策

2001年3月から2006年3月までの量的緩和期は先進国中で日本のみがゼロ金利であったため、為替円安を通じて緩和効果が発現しやすかった(図表12)。もっとも、リーマン・ショック以降、足許まで先進国中銀が概ねゼロ金利政策を取るなか、金利差の面から円安効果は発現しにくく、日本銀行の緩和努力は報われにくい面がある。しかし、かかる状況でも金利を通じたパスはわずかでも働きうる。例えば、資産買入等の基金による買入れの結果、付利体系を維持するもとでも、これまで米国よりも金利が高かった短期国債利回り(3か月物)は直近最低値で0.093%と米国と同程度まで接近してきた。折しも、昨年12月のFOMC(連邦公開市場委員会)において資産買入れの規模の縮小や停止について議論されるなど米国の金融政策に転機の兆しが見え始めたことは日本にとり追い風である。こうしたなか、今後も中長期及び短期国債の買入れを進め、基金を積み上げていくなかで、長短市場金利がどの程度低下するかを我々は注視している。

一方、先行きの資産買入等の基金の積み上げは、決して容易なオペレーションではない。すなわち、基金積み上げ等が順調に進捗すれば、足許65兆円台の基金残高は本年末には100兆円を超える水準に積み上がる(図表13、14)。こうした規模の資金供給は日本銀行にとって未踏の領域であり、仮に民間銀行が財務戦略上の理由から、あるいはコーポレート・ガバナンスの観点といった非経済的要因からバランスシートの肥大化を避け日本銀行当座預金の積み上げスタンスを消極化すれば、基金の積み上げは円滑に進まなくなるリスクがある。もっとも、基金積み上げの際、金融機関が日本銀行の資産買入れのオファーに応じるかどうかは金利水準次第という面もあるはずである。今後の基金積み上げの過程では、未踏の領域だけにいろいろと想定外のことが起こる可能性はあるが、そこは臨機応変かつ柔軟に情勢変化に対処していくことで確実な基金の積み上げを図りたい。

リスク性資産買入れの大幅増額は有望なオプションか?

一方、リスク性資産を大幅に買い増すべきとの意見もある。日本銀行は2010年10月に導入した包括緩和のもと、社債、CP、さらには政府の認可を得てETF、REITといったリスク性資産を買い入れているが、主要国の中央銀行でこうしたリスク性資産の買入れを自己勘定で行っているのは日本銀行のみである。ただし、日本銀行は資産市場への大規模介入を行うという考え方を取らず、あくまで市場の呼び水となることを念頭に置いている。一方でリスク性資産の買入れを大幅に増やす、すなわち市場に大規模介入すべきとの論調が一部にみられるが、こうした政策は果たして有効なオプションであろうか。

私の考えでは、こうしたリスク性資産買入れを一層増やすことについては、日本銀行の自己資本を毀損するリスクがあることから、やや懐疑的である。仮に日本銀行が保有するリスク性資産が値下がりして損失が発生すると、政府への納付金が減少する。自己資本との比較でリスク性資産のボリュームが大きければ、日本銀行が債務超過に陥るリスクも想定される。前者は財政支出増大と同値であるし、そうしたリスクがあるが故に日本銀行は日本銀行法第43条に基づき政府に認可を申請してETFやREITの買入れを行っている。後者の場合、日本銀行は債務超過の穴埋めのための増資を政府に仰ぐことにもなるかもしれず、日本銀行や円の信認、あるいは金融政策の独立性に影響し得る大きな問題となり得る。こうした観点から、大幅なリスク性資産買入れ増額の是非は日本銀行のみならず政府全体にも関係する議論である。リスク性資産の買入れが金融政策の独立性に影響することを避けるためには、損失が発生した際の損失負担のあり方について、政府と日本銀行の間で事前にルールを定めておくといった方法もあり得よう。

外債購入は有望なオプションか?

私は昨年7月の就任会見で外債購入も一案と発言したが、この実現には様々な留保条件がつく。すなわち、現行の日本銀行法では日本銀行は外国為替の売買にあたっては、専ら政府の代理人として事務のみを請け負うと規定されており(日本銀行法第40条)、日本銀行は円相場の安定を目的とする外国為替の売買に関し主体的に意思決定を行うことはできない(図表15)。では、ETFやREITの買入れと同様、日本銀行が日本銀行法第43条の規定に基づき政府の認可を得れば、外債を買い入れることができるであろうか。日本銀行法第40条の規定は、円相場への介入目的とした外国為替の売買を禁じており、第43条をもってしても日本銀行はこうした目的で外債を買い入れることができないと解するのが自然だろう。それでは、金融市場調節の一環としての定時定額の外債購入はどうだろうか?これもその目的が為替相場の操作と看做されれば、同じく第40条の規定に抵触する惧れがあるということだろう。

こうした法律上の制約を踏まえた上で、先の総選挙では自民党が官民共同の外債購入ファンドを立ち上げることを公約の一つとした。政府にせよ日本銀行にせよ、仮に外債を買い入れるのであれば経済効果は同じであるので、私としては買い入れの主体が敢えて日本銀行である必然性はないと考えている。ただし、こうした政策は通貨外交上の問題をはらんでいるので、まずは各国通貨当局と緊密に協議してコンセンサスを得る努力が欠かせないであろう。

円安だけで物価が上がっても経済厚生は増大しない可能性

私自身は円の対ドルレート10%の変化による消費者物価指数への影響は数年間の累積でも1%を大きく下回るとみており、現状ゼロ近傍にある消費者物価指数を円安だけで2%程度に引き上げるには、大幅な円安が必要であまり現実的とは思えない。そもそも金利政策でかかる大幅な円安を実現できるかは不確実性があるし、仮に政策的に目指すとしても通貨外交面で問題を惹起する可能性がある。さらに、円安による輸入物価の上昇や交易条件の悪化は購買力の海外流出をもたらす。物価上昇率が見かけ上高まったとしても、GDI(国内総所得)やGNI(国民総所得)が悪化し、国民は「デフレ脱却」を実感できないであろう(図表16)。結局、為替レートが物価に及ぼす影響は重要だが、為替レートだけで2%という高い物価安定の目標を達成するという考え方はバランスを欠いている。目指すべきはやはり所得の増加とともに生じる物価上昇である。

ただし、現在起こっている為替円安による資産市場への刺激効果を過小評価することもまたバランスを欠くであろう。資産市場、とりわけ国内の株式市場は、リーマン・ショック後に名目実効レートで約4割上昇した円の過大評価の影響から海外市場をアンダーパフォームしてきた。しかし、足許は円の過大評価が是正される過程で国内株式市場のバリュエーションに見直しが入り、資産市場は久々に活況を呈している。前述のように、資産価格の回復は、企業や家計のリスク耐性を強め、経済の活動水準を引き上げることを通じて、需給ギャップの改善、ひいては物価の回復に繋がり得るだけに、私としては金融政策を通じた為替レートへの間接的な働きかけというチャネルを引き続き重視したい。

3.内外の金融経済情勢

世界経済の先行き

IMFによる世界経済見通し(2013年1月時点)によれば、2013年、14年の見通しはそれぞれ3.5%、4.1%と過去30年間の平均成長率3.4%並みかそれをやや上回ることが期待されている(図表17)。同見通しは欧州債務問題の深刻化や中国経済の減速等を受け、このところ下方修正が続いた。しかし、この間、米国経済が低空飛行ながらも底堅さを保ったこと、また昨年夏場以降は、欧州における各種政策の進展でテールリスクが後退したほか、中国経済の底入れもあり、先行きの世界経済の見通しが大幅に切り下がる状況ではなくなってきた。しかし、IMFの見通しどおり過去30年の平均をやや上回る4%の成長軌道に復帰するかどうかはなお不確実性がある。細かな問題を挙げればきりがないが、大枠として世界経済は依然、2000年代半ばから後半にかけ過剰に拡大した信用バブルの調整過程にあり、民間及び公的部門のバランスシート調整が経済パフォーマンスを抑制する方向に作用すると見込まれるためである。

バランスシート調整は道半ば

主要国の民間債務(名目GDP比率)の長期推移をみると、民間債務の拡大と調整は世界的にシンクロナイズしており、大まかに見て10年の周期で拡大とその後の調整というクレジットサイクルを経験している(図表18-1)。1980年代は一部の例外を除き債務の拡大期、1990年代はその調整期であったが、2000年代は再び拡大期となった。リーマン・ショック後の金融危機で債務拡大は終わり、足許2010年代は世界的な民間債務の調整期と言える。しかしながら、米国の家計部門に典型的に示されるように、ストック調整は道半ばである。

一方、民間債務と公的債務を合わせた総債務の長期推移をみると、振れ幅が小さくなり、とくに1990年代のカナダを除けば、主要国の総債務にはこれといったデレバレッジング期が見当たらない(図表18-2)。これは民間がデレバレッジングする時期に、公的債務が拡大していることが影響していると考えられる。

公的債務をネットベースとしたうえで総債務の長期推移をみると、(1)1980年代に多くの国で上昇したこと、(2)1990年代は総じて安定期であったこと、(3)2000年代に入ると、スペイン・米英が先導し、後半以降、日本が追随する格好で増加したこと、が確認できる。また、ネットベースでみると、グロスとは異なり、債務水準についての日本の特異性がなくなる点は興味深い。

このように民間債務と公的債務が逆相関して動きやすく、総債務が低下しにくいことは債務と成長率との関係を論じる上で含意を持つ。日米英スペインなどでは、高水準にある総債務を減らせなければ、家計・企業・政府の何れかの債務は、「債務が成長を抑制する」とされる閾値を超えざるを得ない状況にある。世界経済の先行きや政策運営を考えるにあたっては、しばらくの間、高水準にある総債務が世界経済の重石として作用し続ける可能性があるという点を意識しておく必要があるように思われる。

緩やかな回復軌道への復帰が期待される日本経済

欧州の景気後退や中国の減速に加え、外需の力不足を内需で補えず、昨年4月以降の日本経済は製造業を中心に弱めの動きとなった。足許も輸出のベクトルは引き続き下向きながら、その角度は昨年7〜9月期頃と比べて緩やかになっている。こうした動きは米中の持ち直しを映じた足許のグローバルPMIとも整合的である。輸出の下げ止まりに向けた動きを受け、製造業の生産活動も下げ止まりつつあると認識している(図表19)。内需に目を転じて個人消費の動向をみると、エコカー補助金受付の終了による需要減の影響は足許減衰しており、冬季賞与の減少等、所得環境が不芳ななかでも底堅さを維持している(図表20、21)。雇用情勢も製造業は引き続き不芳ながら、製造業の悪化が内需関連部門にスパイラル的に波及していくほどの悪さは見受けられない。こうした中、足許まで全体として弱めの設備投資も、先行きは緩やかな増加基調に転じていくと期待される(図表22)。

生産予測調査にみる生産の先行きは、1〜3月期特有の季節調整による押し上げの影響に加え、2月は中国の春節の影響も加わるため実勢が見えにくくなるが、少なくとも一段と水準を切り下げていく展開とはならないであろう。海外経済ではテールリスクの大きかった昨年夏場頃までとは違い、回復の蓋然性の度合いが幾分高まっていることや、国内経済では財政刺激策の効果も見込まれることを勘案すると、目先4〜6月期以降の景気は、短期的にせよそれなりの浮揚感が出ると期待している。先行きを手放しで楽観している訳ではないが、景気動向指数から見て、昨年4月以降の景気後退は振り返ってみれば昨年11月が底で、持続期間8カ月のミニ景気後退で済んだと総括できるかもしれない。無論、リスク要因として米国では財政の崖や債務上限の問題を先送りした後もFiscal dragの影響がなお見通しがたいこと、欧州では選挙等、イベントの展開次第で世界的なリスク回避傾向が再び強まるといったことが想定され、テールリスクへの配慮は引き続き怠れない。また、前述のように世界的に過剰に積み上がった債務の調整の結果、先行きの世界経済の回復パスは大枠として緩やかなものにとどまるであろう。なお、以上の内外需要の動向を踏まえ、今回の中間評価では、成長率の見通しについて、2012年度は昨年10月の展望レポート時と比べ幾分下振れるものの、2013年度は上振れると予想している(図表23)。

物価については、消費者物価総合(除く生鮮食品)の前年比上昇率は足許ゼロ近傍で推移している。先行きについては、もともと食料加工品などの非耐久財のスーパーによる値下げ競争の影響などから弱めに推移していたところに、昨年に大きく上昇していたエネルギー関連や、昨年同時期に一部品目の銘柄変更に伴ってマイナスが縮小していた耐久消費財関連での反動が出ることによるテクニカルな下げが見込まれること、またこれまでの景気下振れによる需給ギャップ悪化の影響が先行きラグを伴って現れると見込まれることなどを勘案すると、目先はむしろマイナス幅が拡大することが見込まれる。日本銀行は2%の物価安定の目標を掲げたばかりだが、物価情勢は目先一段と険しいものになるであろう。

こうした中にあっても、足許の為替円安や株高など資産市場の変動が実体経済の改善を通じて物価に好影響をもたらすことも期待される。いずれにせよ、金融政策だけでなく、あらゆる政策を総動員することにより、実体経済の前向きな力を育てていくことが肝要であろう。

4.結語

最後に群馬県経済について一言触れて講演を終えたい。県内景気は、海外景気の減速が長引いていることに伴い、持ち直しの動きが一服し、横這い圏内の動きが続いている。もっとも、全国と比べると、輸送用機械が牽引役となって良好な状況にある。

先行きは、海外経済が緩やかな回復に転じていくもとで、輸出が増加し、再び緩やかに持ち直していくことが期待される。

当地は、地震などの自然災害の少なさ、豊富な水資源、首都圏との良好なアクセス環境など、強固な産業基盤を有している。県や各市町を中心に、こうした強みを生かしたバックアップ拠点としての当地の優位性をアピールする活動も奏功して、ここ数年の工場立地件数および立地面積は全国トップレベルとなっている。

また、観光分野にも期待できる。湿原で有名な尾瀬、世界遺産登録を申請している富岡製糸場などの文化財、草津、水上、伊香保、四万を含む温泉地などの観光資源を抱えている。こうした観光資源を活用し、内外からの観光客を引き付けるための取り組みが行われており、こうした取り組みが当地の観光業の発展を更に促すことを期待している。